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2020/01/29

ラックムアン Lak Mueang / City Pillar Shrine, Phitsanulok(街の守護神)

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ラックムアン Lak Mueang (City Pillar Shrine) は、新しく街を造る際に繁栄を祈願して最初に建てる柱で、街の守護神として祀るものです。古代インド宗教バラモン教の「新しい町を作るときに礎となる柱を建造して繁栄を祈願する」という考えに基づいていると言われています。現在、タイの県庁所在地や大きな都市などのほとんどで建てられていますが、多くは現王朝時代になってから造られたもののようです。

ラックムアンとして守護神の柱を建てる風習がいつ頃から始まったのはわかりませんが、少なくとも現タイ国の起源とされるスコータイ王国時代、13世紀頃には始まっていました。スコータイ旧市街やシーサッチャナライ、カンペーンペットにもラックムアンは残されています。いずれのラックムアンも王宮のすぐ近くにあります。

※ チェンマイやピーマイ遺跡にもラックムアンはありますが、スコータイ王朝期のものとは “守護神” の形が異なり “柱” とは言い難い

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スコータイ旧市街ワット・マハータートそばにあるラックムアン

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シーサッチャナライの宮殿跡脇にあるラックムアン

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カンペーンペットのワット・プラケーオ隣にあるラックムアン

ピッサヌロークのラックムアンはナレースワン橋の西側、 Chan Palace の南側の城壁内にあります。見るからに新しい建物なので近年になって建造されたのは間違いありません。ですが、現在のピッサヌロークの街の発展を考えると、この場所が起点になっていたとしても不思議ではありません。

ソンクエー Song Khwae(元ピッサヌローク)の街は元々クメール人が造ったと言われています。スコータイ王国のリタイ王(1347 - 1368)が現在の場所に街を移動して、ワット・プラシーラッタナマハタートなどの寺院を建立しました。もしもその時に Chan Palace (あるいは類似の王宮)を造ったとするなら、その時代にラックムアンも現在の場所に造られたとしてもおかしくはありません。

Chan Palace Historical Center に掲示されている説明では、Chan Palace はインタララーチャー1世(1409 - 1424)が後の国王である自分の息子をピッサヌローク(当時のナーン川西側チャイナート Chainat)に住まわせる為、あるいはトロイローカナート王(1448 - 1488)がアユタヤ王国の都をピッサヌロークに移す時に造ったと書かれています。前者はチャイナートの街を造る際に、後者はピッサヌロークを王都として整備する際にラックムアンを建てたとも考えられます。

現在のラックムアンは少し土を盛った小高い上に造られています。案内板によると 1996年に建てられたもののようです。

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入口階段にはナレースワン大王の象徴である大きな闘鶏の置物が置かれており、建物周辺にも数多くの置物が置かれていました。

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最後に、こちらがラックムアン本体です。柱の周囲には金箔が貼られ、高さは3.29mもあってかなり大きな物です。

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タイで初めての街に行くときはラックムアンを最初に探します。そこが街の発祥地であると思うと、何だか歴史を感じることができます。




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