【門司港散策】大正時代創業のカステラの三玉家、門司銘菓・与次兵衛
店主は3代目だと話されていたと思います。以前、菓子折に入れてた昔のしおりを見せて頂きましたが、それによると、創業者は長崎でカステラ作りの修行をして、この地に店を構えたのだとか。当時の門司港の繁栄ぶりからすると、立地条件は最高だったのではないでしょうか。
大正10年頃と言うと、同じ通りには映画館などが建ち並び、老松公園の場所に公設市場が開設された頃です。また、店の前にはまだ掘(第一船溜と第二船溜を結ぶ運河)があり船が行き交っていたことでしょう。日本銀行門司支店は掘を挟んですぐ目の前です。門司港は戦後になって急速に衰退していきますが、1970年代頃まで栄えてた東本町商店街の入口にあたります。
私は店主お薦めのカステラと門司銘菓・与次兵衛を購入しました。カステラは大変素朴で昔ながらの美味しさ・・とでも言いますか、甘過ぎず飽きの来ない味わいでした。与次兵衛を購入したのは、その名が門司ゆかりの明石与次兵衛に由来するからです。直径5センチほどの変わった菓子で、ほんのりした甘さと塩加減、そしてコロコロとした食感も楽しめました。
さて、明石与次兵衛について、時代は豊臣秀吉の頃に遡ります。文禄元年(1592年)、朝鮮出兵のために名護屋城にいた秀吉が、母の急病を知り急遽大阪城に戻る際に海峡の篠瀬で座礁してしまいました。その時、当時の船奉行だった明石与次兵衛が責任をおって大里の浜で割腹して亡くなりました。後の豊前国藩主が明石与次兵衛の死を悼むと共に、往来船舶の安全の為に篠瀬に「与次兵衛塔」を建てて示標としたと言います。
戦時中は海中に放置されていましたが、昭和30年(1955年)地元有志により引き上げられて海難守護神として和布刈公園内に移され、関門橋建設に伴い昭和47年(1972年)に現在の地に移されたとのことです。場所は、和布刈公園入口の直ぐ近くです。
この裏手の小高い場所に「明石与次兵衛の塔」はあります。(階段あり)
この場所から関門海峡を眺めることができます。
ノーフォーク広場から和布刈公園に向かう坂道を歩いて直ぐの場所です。散策の途中に寄ってみたらいかがでしょうか。
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