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2019/06/14

【門司散策】門司赤煉瓦プレイス(元・帝国麦酒/サッポロビール 門司工場)

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赤煉瓦の建物には古き良き時代を思わせるような哀愁に満ちた暖かい雰囲気があります。港町ならではと言っても良いでしょう、門司の西海岸沿いには沢山の赤煉瓦倉庫や建物が今も残っています。その一つが「門司赤煉瓦プレイス」です。この建物群は、2000年(平成12年)までサッポロビール九州工場の醸造施設として使用されていた場所で、2005年(平成17年)に門司麦酒煉瓦館が開業し、翌2006年(平成18年)に他の施設も開業しました。2007年(平成19年)に国の登録有形文化財に登録され、2009年(平成21年)には、近代化産業遺産続33(33九州窯業 - 北九州市の鉱滓煉瓦製造関連遺産)に認定されました。

門司の赤煉瓦倉庫や工場の歴史を知る上で、かつて三井、三菱をしのぐ総合商社とも言われた「鈴木商店」を抜きには語ることはできません。鈴木商店は1874年(明治7年)に神戸で開業し、第一次世界大戦後に最盛期(1919〜1920年)を迎えるものの、世界的な大戦後不況のあおりを食らって、その僅か7年後に事業を停止し清算することになりました。

門司との関わりは大変深く、西海岸沿いに次々と工場を建設して「鈴木コンツェルン」を形成していきました。主な工場は次の通りです。

1903年(明治36年)大里精糖所(現・関門精糖)
1911年(明治44年)大里製粉所(現・日本製粉、既に工場・倉庫は解体)
1912年(明治45年)帝国麦酒(現・サッポロビール) ← 赤煉瓦プレイス
1914年(大正3年)大里酒精製造所(現・ニッカウヰスキー)
1917年(大正6年)神戸製鋼所(現・神鋼メタルプロダクツ)
1918年(大正7年)日本冶金(現・東邦金属)

鈴木商店に多額の資金を提供しメインバンクになっていた「台湾銀行」は、門司港に支店を置いていました(古い地図には現在の西日本銀行付近に台湾銀行の名前があります)。

門司港が繁栄するなかで鈴木商店も飛躍的に発展し、第一次世界大戦後に終焉に向かったと言っても良いでしょう。門司港の繁栄はもう少し続きましたが、やはり第二次世界大戦を機に衰退に向けて流れが変わっていきました。

赤煉瓦プレイスの建物は主に3つ。一つは1913年(大正2年)に建設された管理棟(現・門司麦酒煉瓦館)です。日本における最初期の鉱滓煉瓦建物で、現存最古の本格的鉱滓煉瓦建築として大変貴重なものです。内部は資料館と売店になっています。

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次は一番大きな建物であるビール醸造棟(築1913年)。2000年まではサッポロビールの醸造所として稼動していました。現在は中に入ることはできないようです。全景は冒頭写真、煉瓦壁が古くてイイ感じです。

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次は倉庫棟(現・赤煉瓦交流館)。赤煉瓦ホールと会議室が入っています。

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醸造棟の奥には組合棟(現・赤煉瓦写真館)があります。

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更に醸造棟の裏側に回ると BRICK HALL があります。小規模な懇親会やイベントに使われるお洒落なホールです。ちなみに、リコーのカメラ GR のファンイベント「GR meet」が7月7日にここで行われます。門司出身の写真家、藤原真也 さんの講演も予定されています。1992年に発表した「少年の港」は門司港を題材にした写真集です。

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最後に、2005年に撮った写真の中に開業前の赤煉瓦プレイスがありました。門司駅で動きだした電車の中から撮ったものですが、当時は駅と赤煉瓦を遮る建物は何もなくて野っ原でした。

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赤煉瓦倉庫・工場としては、元・大里精糖所(大日本精糖、西日本精糖を経て現在は関門精糖)と元・大里酒精製造所(日本酒類醸造、大日本酒類醸造、協和発酵、アサヒ協和酒類製造と経て現在はニッカウヰスキー 門司工場)は現在も稼働中です。けれども、元・大里製粉所(日本製粉と対等合併)は日本製粉の工場集約かにより1997年(平成9年)に工場が廃止され、その後、赤煉瓦建物も解体されました。真っ白な5階建ての製造棟は元・電車通りから遠くに見えていたのを覚えています。


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