FC2ブログ
2019/06/04

【門司港散策】かつて馬場遊郭があった場所をたずねて

TMH_SNA06158R.jpg

仕事があれば人が集まり、そして町ができる。門司港はまさにそんな町で、門司港として開ける前までは塩田が広がるのどかな海辺町だったそうです。門司港を変えたのは筑豊の石炭産業でした。1889年(明治22年)に門司港が石炭、米、麦、麦粉、硫黄の特別輸出港に指定され、門司築港株式会社の設立で港湾開発が始まった頃からです。同年11月、長崎税関の門司出張所も正式に設けられました。1988年に九州鉄道(株)が創立して、1891年4月には初代の門司駅(現門司港駅)が開業しました。この頃の門司港は慌ただしく開発が進み発展していたのがよくわかります。

人が集まるところに色町ができるのは、ごく自然の成り行きなのかもしれません。まだ塩田の埋め立てが始まった頃なのに、1889年(明治22年)には貸座敷娼奴取締規則の改正に伴い門司が関村(後の門司町、門司市)の大字馬場で貸座敷営業が許可されています。馬場遊郭という名称で開業したのは、それから6年後の1895年(明治28年)とされています。けれども、門司には塩田埋め立て地に「塩竈遊郭」が前年に開業したという記録もあります。おそらく、塩竃遊郭が馬場遊郭に改称したのだと言われています。正確な場所は特定できませんが、1899年の古い地図を見ると塩田埋め立て地に堀で囲まれた数件の建屋が確認でき、1928年発行の門司新市街図では現在の東本町2丁目付近に「遊郭」の文字が記載されています。

1928 門司市街地 S
(著作権は既に切れているので国会図書館でコピーを取りました)

開業当時、十数軒の奴楼があったと言われています。5年後の1900年(明治33年)には11軒、1930年(昭和5年)発行の「全国遊廊案内」によると、馬場遊郭には15軒の貸座敷があり約150人の娼奴が居たそうです。人口10万人にも満たない町にしては、かなり大規模で繁盛していたと思われます。年間の客は約9万人もいたそうなので、毎日約250人もの客が訪れていたことになります。

馬場遊郭

ちなみに、門司港が最も栄えていた時期の1933年(昭和8年)には、旅館は77軒、料亭 32軒、芸奴置屋41軒、貸座敷 11軒、カフェ 82軒もあったそうです。狭い町なのに、どこにそんなに多くの店があったのか驚きです。昭和に入ると「遊郭文化」は陰りを見せ始め、カフェに移行し始めたと言われています。(カフェは普通の喫茶店で無いことはおわかりですね)

冒頭の写真は、馬場遊郭の外れにある建物で、造りからして元遊郭だと思われます。現存する遊郭建築は数少なく、取り壊されてしまったものもあります。次の写真(2012年撮影)は、直ぐ近くにある元遊郭の建物ですが、2016年のGoogle Street View ではまだ確認できるものの今年5月に行った時は更地になっていました。

TMH_1208 Moji_191
TMH_1208 Moji_188TMH_SNA06153R.jpg

冒頭の建物と同じように、入口の壁はタイル張りで、玄関と隣合わせに小さな勝手戸があるのが特徴的です。

門司港には他にも遊郭がありました。「新町遊郭」は錦町の東本願寺直ぐ近くの細い路地沿いにひっそりとありました。昔を思わせる建物もいくつか残っていますが、ここも取り壊されるのは時間の問題でしょう。2012年に訪問した際にあった木造建築が今年行ったときは立派なお宅に建て変わっていました。次の写真は今年確認できた元遊郭建築です。

TMH_SNA05925R.jpgTMH_SNA05927R.jpg

さらに、元馬場遊郭から国道2号線を挟んだ旧蛭子町通りにも遊郭建築を見ることができます。現存するのは一軒のみで、現在はゲストハウス PORTO として改装され使われています。PORTO のWEBページには内部の写真もあり、レトロでお洒落な感じがします。

TMH_SNA06139R.jpg

先日、国会図書館に行った際に 1970年(昭和45年)のゼンリン住宅地図を見つけました。当時の門司港は既に活気を失い廃れるだけの町でしたが、それでもまだ昔の名残を少しだけ残していたと記憶しています。地図を見ながら、1970年に残っていた旅館(ピンク色)とバーやキャバレー(赤色)などを色つけしてみました。現在はほぼ全て営業していません。

1970 馬場遊郭 東本町・東門司 S

栄町銀天街方面から来ると、内堀川通りや内本町通りにバーやキャバレーが沢山あるのがわかります。空き地も結構見られるので、昔はもっと多くの店が営業していたのでしょう。東本町に入ると、「新世界」や「銀座映劇」があって、その先が元馬場遊郭だったのだと思います。1970年当時でも中心部は全て再開発され、周辺部に「旅館」が点在しています。

馬場遊郭の中心部分は、この地図の保健所(現在は保育園)のある場所付近。まぁ、花街の跡に保健所などの公共機関が建つのは何となく良くわかるような気がします。😆

冒頭の写真はこの地図の左側3軒の一番上の建物です。更地になったのは保健所直ぐ上にある旅館です。地図には「みどりや旅館」とあります。1907年以降にできた比較的新しい奴楼のなかに「みどり」というものがあります。もしかしたら、元みどりや旅館が「みどり」だったのかもしれません。

現在のゲストハウス PORTO は地図では「旅館 園」と記載されています。言うまでも無く、このエリアの「旅館」は元奴楼だと考えて間違いないでしょう。ちなみに、新町遊郭にも「旅館」の記載が何軒もあります。

※ 地図中、「門司労災病院」の場所には元々朝日新聞の九州支社がありました。その隣の「簡易裁判所」の場所には三井銀行門司支店。「労災病院」は海側に新築移転しました。

最後に遊郭がらみでもうひとつ。現在の門司港が栄えたのは1889年以降ですが、それより以前、江戸時代には下関が北前舟の寄港地だったことで、田ノ浦にも舟の修理などで寄港することもあって栄えていたそうです。人が集まれば旅館や遊女屋もできる。「門司市史」によると、明治初めには数件の遊女屋があったそうで、門司が関村が芸娼奴貸座席許可を与えられる前、田ノ浦はすでに許可されていました。現在の門司港が栄えるにつれて、田ノ浦は逆に寂れていきました。

花街と言えば芸奴と料亭。門司港の料亭文化は清滝を中心に丸山町や田町に広がっていました。少し下調べをして機会があれば別記事にまとめる予定です。


★ よろしければ、下のバナーをクリックお願いします。
  関連したランキングページに移動します。
にほんブログ村 旅行ブログ 一人旅へ

★ ご協力有り難うございます。
関連記事

コメント

非公開コメント