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2019/05/29

【門司港散策】料亭 三宜楼 - 門司港のかつての繁栄を今に伝える歴史的木造建築

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三宜楼(さんきろう)は門司港が最も栄えていた大正から昭和初期にかけて社交場として繁栄した高級料亭です。創業は1906年(明治39年)以前と言われ、現在の地に移転したとされるのは1911年(明治44年)、そして現存する建物は1931年(昭和6年)に建てられました。延べ床面積1200平方メートル以上、部屋数も20室以上ある木造3階建ての大規模な建造物で、現存する料亭建築としては九州最大級のものです。

三宜楼は栄町銀天街の桟橋通側を出て少し小高い坂を上った所にあります。立派な石垣の上にたたずむ木造建築は堂々としていて周囲を圧倒する雰囲気があります。

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石造りの階段を上ると木製の立派な門があり、高級料亭の雰囲気が伝わります。

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時代の流れの中で一気に繁栄した街は、時代の流れとともに寂れていくのも早い。第二次世界大戦直後の一時期を除いて、門司港はかつての繁栄を取り戻すこと無く衰退の道を歩んでいきました。そんな時代、三宜楼は1955年(昭和30年)には料亭を廃業してしまいました。

料亭廃業後は、創業者である三宅アサの子孫がそこに住み続けていましたが、孫にあたる方が2004年(平成16年)に亡くなられた後は遺族が建物を存続できないとして売却・解体の危機を迎えます。地元有志による「三宜楼を保存する会」が募金を集め所有権を取得し、後に北九州市に寄贈されました。2013年頃から2億円余りをかけて部分的な補修工事が行われ、2014年4月から一般公開が始まりました。1階には、三宜楼とも縁が深いフグ料理の老舗 春帆楼(下関)による「三宜楼茶寮」が入っています。

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三宜楼の見所は、高級料亭にふさわしい贅沢の粋を懲らした飾り付け(下地窓や欄間)と2階の畳部分だけで64畳もある大広間でしょう。下地窓は各部屋で全て異なっており全部で22種類もあるそうです。部屋の外側にも廊下があるので、栄町銀天街方面の門司港の町並みを見渡すことができます。

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芸者達による艶やかな芸が行われた舞台も広く、木のぬくもりが感じられます。

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建物全体が補修されているわけではないので見学できるのは2階までです。ただし、管理人さんの案内か許可を取れば3階にも上がることができます。俳句の間と言われる一間だけが改修されています。改修されてない別の部屋の内部を見ることもできます。

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3階からは木枠の窓越しに門司港駅と関門海峡を眺めることができます。当時はビルも立ち並んでなかったはずなので、海峡を行き交う船舶を見ることができたのでしょう。窓ガラスはあえて古い物を使っているのでしょうか、微妙に波打つ歪みが古さを演出しているように思います。

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三宜楼が栄えていた時期、ライバルと言えるのが「菊の屋」と「三笠」です。「菊の屋」は桟橋通を山手側に少し上った所にある NKKビル(元ホテル・ナカハラ、元ホテル・ダイアモンド)付近で、「三笠」は後の「料亭 松尾」で、三宜楼からほど近い場所にありました。これ以外にも100人以上を収容できる大型の高級料亭がいくつもあったそうです。中小の料亭にいたっては数十はあったとされ、当時の門司港が如何に栄えていたかがわかります。残念ながらその全てが現在は営業していなくて、建物が残っているものも三宜楼を除いて数カ所しかありません。

幼少期をこの地で過ごして、清滝界隈のイメージは「大人の社交場」で、子供が行くような場所ではありませんでした。直ぐ近くに山城屋デパートがあっても、そこから先の山手には立ち入ることは無かったと思います。清滝公園や風師山に登るときに通ったくらいです。当時、三宜楼は既に廃業していたのですが、まだ「料亭 松尾」や「醍醐(建物は現存)」「ひろせ(2014年廃業、建物は現存、イベントで使用)」などは営業を続けていました。

無くなったのは料亭だけではありません。1970年の住宅地図を見てみると、清滝から錦町界隈には20軒以上の旅館がみつかります(場所的にその多くは遊郭跡だと思われますが)。ですが、現在も残っている旅館はわずか3軒しかありません。レトロ観光をするなら、そんな昔ながらの古い旅館に泊まってみるのもひと味違った旅の思い出になります。

清滝界隈は細い路地が沢山あることでも有名です。重機が入れないため取り壊しも難しいらしく、まだ古い民家が沢山残っています。最近は、そんな路地にお洒落なカフェもできていて、路地探索も楽しいです。

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魚住酒店隣にある「片(わずか)」店内はゆったりと落ち着いた雰囲気で隠れ家的なカフェです。元は芸者の置屋だったと言われる木造建築です。

※ 三宜楼の歴史については、「門司港」発展と栄光の軌跡(羽原清雅著、書肆侃侃房)に大変詳しく記載されています。

※ 春帆楼(しゅんぱんろう)
1985年頃、伊藤博文の命名により創業した料亭で、ふぐ料理の公許第一号店です。1895年には日清講和条約の締結会場にもなりました。三宜楼創業者の三宅アサは、京都から移り住んで春帆楼に一時期席を置いていたと言われています。春帆楼も創業者の死後、何度も廃業の危機にあいます。2003年には株主の会社更生法適用(倒産)により、現在はオリックス不動産が所有し運営に当たっています。場所は安徳天皇御陵がある赤間神社に隣接しており、敷地内には日清講和記念館、伊藤博文・陸奥宗光の胸像、そして「ふくの碑」があります。

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