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2018/04/17

タイ建国の歴史を調べてみました

大陸にある国々では、民族や宗教の違いにより争いが絶え間なく続いて、国(勢力域)も時代により大きく変わってきました。争いの度に王宮や寺院が破壊されて・・島国日本に育った私からすると、なかなか理解に苦しんだりするわけですが。。。おかげで、タイ全土に渡って戦いの歴史というか、その後が遺跡として残っています。

現在のタイの建国はスコータイ王朝に遡るとされています。11世紀頃、現在のタイ領土はモン族に支配されていました。北はハリプンチャイ王国、南はラヴォ王国です。そこにクメール族(現在はカンボジアに大部分が住む)のクメール王朝が勢力を伸ばしてきて、その勢力が弱まってきた頃に、中国南部から移動して北部から勢力を強めてきたタイ族はスコータイ王国を作りラボ王国から独立します。その後、北部ではハリプンチャイ王国を制圧してランナー王国ができました。モン族のラヴォ王国は 1388年にアユタヤ王朝の Ramesuan王に統合されるまで続いています。

各王朝の王の年代表を作ってみました。

モン族からタイ族へ S2

スコータイ王国の最盛期は三大王の一人とされるラームカムヘーン王 Ram Khamhaeng(1279-1298年)の時代です。支配域を現在のタイの大部分を占める領域まで拡げ、タイ語で書かれた最古の石碑ラームカムヘーン王碑文によると、国は大変豊かで「王は国家の父たる存在である」とあり、現在のタイ国にも継承されている考え方の土台が作られた時期なのです。また、ラームカムヘーン王は北部ランナー王国のマンラーイ王(1261-1311年)、パヤオ王国のカムムアン王(1258-1298年)とも親交が深く、1287年には三国同盟を結んでクメール王朝からの攻撃に備えました。チェンマイにある「三人の王の像」は偉大なこれら三人の王を記念したものです。

TM_DSC09947.jpg 

当時の王国には明確な国境は存在しなかったようです。国王が全ての領域を治めていたのではなく、スコータイがスコータイ王国の中心で、その周辺にあるムアン(小規模な国のようなもの)と連合体王国を作っていたと考えられています。したがって、スコータイ王朝の勢力が弱まれば、それらのムアンは独立していくわけです。ラームカムヘーン王の死後、スコータイ王国は弱体化の一途度たどり、東に位置したピサヌローク Phitsanulok、南のカムペーンペット Kamphaeng Phet、ナコーンサワン Nakhon Sawan が離反していきました。

1347年、リタイ王 Lithai の時代にはスコータイ王国の中心はピサヌロークに移され、アユタヤ王朝に併合された後も、その地の中心地はピサヌロークとなり、スコータイという町は歴史から忘れされれて密林の中で長らく廃墟となっていました。スコータイが「発見」されたのは現王朝のラーマ IV世(モンクット王 1851-1868年)の時代になってからです。

スコータイ王国時代の遺跡はスコータイ歴史公園になっていて、北のシーサッチャナーライ歴史公園 Si Satchanalai、カムペーンペット歴史公園 Kamphaeng Phet と共に「スコータイの歴史上の町と関連の歴史上の町」として UNESCO世界遺産に登録されています。

年表を作ったり色々と調べていたら、たったこれだけの文章をまとめるのに何日もかかってしまいました。こういう歴史を調べるのは楽しくて、暇人にはもってこいです。(笑)

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