アユタヤについて思うこと。。。
昨年はランナー王朝の古都チェンライに初めて行きました。長年の戦乱によって町は破壊され、古くからある寺院もほとんどが第二次世界大戦以降に再建されたものでした。古く遺跡のような寺院を想像し期待していたのにがっかりしてしまいました。続いて訪れたチェンマイも同様でしたね。
さて、本題に戻すと、アユタヤは 1351年にウートン王 Somdet Phra Chao Uthong が王朝を興して、陥落したのは 1767年です。当時のビルマ軍によって王宮や寺院などがことごとく破壊されました。アユタヤ王朝がビルマ軍に敗れたのはそれが最初ではなくて、16世紀半ばにも敗れていて 1564年から1568年までの間、ビルマの属国になっていました。これを境にして前期アユタヤ王朝と後期アユタヤ王朝と呼ぶことがあります。
実は、前期アユタヤ王朝と言われるのは正確には「アヨタヤ王朝」で、後期が「アユタヤ王朝」なのだそうです。発音は似ていますが、Ayothaya と Ayutthaya で綴りも違っていて由来も異なります。Ayothaya は、古代インドの大長編叙事詩ラーマーヤナの主人公ラーマ王子の出身地アヨーダーヤから来ています。Ayutthaya は、仏教経典のパーリー語で「不敗」を意味するのだそうです。ビルマに占領された過去から、そのような名前にしたのでしょうか。前期アユタヤ王朝の中心地はパーサック川の西側にあったとされています。
アヨタヤというムアン(町)は、ウートン王がアユタヤ王朝を興す前からあったようです。アユタヤの北側にはロップリーがあり、西側にはスパンブリーという町があります。当時はこれらにも権力者が居て、ウートン王が王朝を興すときに協力を求めるために中間に位置するアユタヤに王都を置いたのではと考えられています。
アユタヤに初めて行ったとき、破壊された仏塔や寺院を見てショックを受けました。国を治める上で宗教は重要な要素の一つです。それを破壊することで服従させようとしたり、また、宗教上の違いから仏像の顔だけ壊したりするのでしょう。島国日本人には良く理解できないことなのかもしれません。
アユタヤの地図を見てみると思った以上に寺院が多いです。400年間余りも王朝が置かれていたので当然なのかもしれませんね。有名寺院や評価の高い寺院をマッピングしてみました。これだけでも40箇所くらいあります。町全体が遺跡みたいなものなので、多分、朽ち果てた仏塔や寺院はこれ以外にもあるのではないでしょうか。40箇所以上もあるので、全部見て回るなら少なくとも3日は必要かもしれません。次回のタイ訪問の際にはなんとか組み込みたいと考えています。
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