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2019/07/30

オリンピックの聖火リレー 2020 TOKYO ではリレーであってリレーで無い!

2020 Tokyo Olympic まで1年を切りました。聖火リレーのコースも決まって、全国各地で聖火リレーが行われるようです。全国各地で・・と書いたのは、聖火リレーのコースは必ずしも連続してないからです。1964年に行われた前回のオリンピックでは、聖火リレーは一筆書きのように全国をリレーで繋いで東京に集められたと記憶しています。当時はまだ米国の占領下でしたが、ギリシャから聖火の種が届いたのは沖縄。そこから聖火は鹿児島まで空輸されて一部は空路北海道千歳へ、そして一部は宮崎に運ばれて、これら3地点を起点にした4ルート(鹿児島ルート、宮崎ルート、千歳ルート東西)で聖火は東京に集められました。

1964 聖火リレー

東京2020オリンピックの公式WEBによると、「東京2020大会に向けた機運を日本全国で高めるために、47都道府県の様々な場所で聖火リレーを実施します。」とある。どこにもリレーで聖火を灯し受けついで東京に集めるとは書いてない。😅 「聖火リレー」というイベントを全国で行うと言うことらしいですね。

聖火はリレーで走って受け継いでいくものとばかり思っていたので、地元福岡のルートを見て驚きました。それがこちら。どう考えても一筆書きではリレーできないし、空白の市町村はどうなるんだって。

聖火リレー福岡2
数字は「聖火リレー」を行う順番です。明らかに飛び飛びになっていて、途中は車で運ぶのだそうです。ちなみに、前日は佐賀市でセレモニーが行われるので、そこから大牟田市までは車移動です。

「聖火リレー」2日目の終点は北九州市門司区の関門海峡ミュージアム イベント広場です。翌日、山口県の「聖火リレー」のスタートは直線距離で約120kmも離れた岩国市からだそうです。聖火をタスキのように繋いでいく・・・というのは勝手な思い込みだったようです。

1964年の前回東京オリンピックでは、私も沿道に出て日の丸の国旗を振った記憶があります。当時、西鉄電車が走っていた電車通りにずら〜っと人が並んでいました。私はまだ子供だったので大人達に視界を遮られてモクモクと上がる煙だけを見てたような・・・少しだけ隙間からランナーも見えた気がしますが、聖火を持っていた人なのか伴走の人達だったのかは定かではありません。

当時の北九州市制だよりの記事がありました。

1964 聖火リレー記事

小倉方面から手向山のトンネルを抜けて聖火ランナーが入ってきて、電車通りをずっと進んで電車の終点を越え、和布刈公園に設置された聖火台まで走り抜けたようです。そこで聖火は一晩置かれ、記事には「聖火のつどい」が催されたとあります。翌朝、聖火は上ってきた道を降りて聖火台広場から門司港の桟橋へ、そして船で下関側に運ばれました。つまり、門司港では聖火が2回走ったことになります。

聖火台広場(元・和布刈公園第三展望台)は現在もあります。源平合戦のタイル画がある第二展望台から少し登った場所です。

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この写真は2012年に撮ったものです。階段を上ったところに少し広い平坦な場所がありますが、たしか聖火台らしきものは何も残っていませんでした。当時でも草が生え放題で整備はほとんどされてないようでした。



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2019/07/29

【門司港散策】門司電気通信レトロ館(旧 逓信省門司郵便局電話課庁舎)

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門司電気通信レトロ館は、1924年(大正13年)に旧・逓信省門司郵便局電話課庁舎として新築されたものです。建物の外観は、垂直に刻まれた細長い窓とアーチ状の柔らかいカーブを特徴とする優雅なもので、門司港で最初の鉄筋コンクリート構造のビルとして門司港レトロの代表的な建造物の一つです。(2009年に近代化産業遺産に認定)

場所は、門司港レトロの中心から多少離れていますが、門司港駅から約1km、ゆっくり歩いて15分程度でしょうか。門司港駅からプレミアホテル門司港方面に歩き、ブルーウィングもじを渡って旧門司税関前を通って鎮西橋に抜けます。そこからは道沿いに約350mです。かつて、この通りには門司銀行、藤本ビルブローカー銀行門司支店、三井銀行門司支店などが立ち並んでいました。また、出光興産の創業地でもあります。

日本の電話創業は1890年(明治23年)です。同時に東京と横浜に「電話所」が設置されました。街頭公衆電話の誕生はそれから10年後の1990年(明治33年)、新橋と上野の停車場に初めて「自働電話」設置されました。電気通信レトロ館前の角には、日本最初の公衆電話ボックス(東京・京橋)の復刻版(真っ赤な電話ボックス)があります。

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門司に公衆電話ボックスが登場したのは1902年2月(明治35年)で、旧・門司駅入口に設置されました。東京から遅れることわずか2年、当時の門司港がいかに栄えていたかがわかります。(門司港は大連などと定期航路があったため早くから通信設備の設置が求められ、1900年に小倉や若松とともに電話が開通しました)

館内には数々の貴重な電話機や携帯電話などが展示されていて、日本の電話機の歴史、公衆電話の歴史、携帯電話の歴史などを見ることができます。

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「門司電気通信レトロ館」がオープンしたのは「門司港レトロ」のオープンと同時で1994年。NTTとして窓口業務は1999年(平成11年)まで続けられていました。子供の頃、電話局と言えばここ。路面電車の東本町停留所前にあっていつも目にしていた建物です。当時はこの建物が大正時代末期に建造された歴史的に重要なものだとは全く知りませんでした。

入場無料、9:00~17:00(入館は16:30まで)の開館です。(休館日は月曜日)


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2019/07/28

【門司散策】日本一の河童像がある不思議な神社 皇産霊(みむすび)神社

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部埼灯台に行く途中、海に向かって立つ河童の像が見えたので帰りに寄ってみました。門司にこんなものがあったのか・・と驚きの不思議な神社でした。神社の案内板には

当神社は、日本の古典・古事記・日本書紀等の伝える天地造化の大神、高皇産巣日神、神産巣日神の二神大神を主祭神として皇産霊大神と尊称して奉祀する神社であります。

当神社は「皇産霊大神」の神号を以て日本各地の神社で見受けることのできない数少ない奇霊なる大神をお祀りした神社であります。

皇産霊(みむすび)神社は、小倉に本拠を置く冠婚葬祭・介護業の(株)サンレーの総守護神を祀った神社とのことで、「北九州で朝日が一番美しい青浜に神社を建てたい」という会長の願いがかなって1996年に建立されたそうです。

ここでは様々な神様が祀られています。天津神(あまつかみ)系の高皇産霊神(たかみむすびのかみ=男神)、神産霊神(かみむすびのかみ=女神)の二柱が主祭神で、これらに加えて天照大神やイザナギの神など、そして七福神も一緒に祀られています。さらには招福河童まで。。。神童から民間信仰まで様々な御利益を一同に集めたような場所です。

正面から中に入ると、まず最初に大きな鳥居「光陽門」が目に入ります。その右手には日本一とされる河童の像があります。

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一番大きな河童像は高さ5.3m、海を望むように建っています。その周りには小さな河童が8体立てられており、それぞれ「合格河童」「千両万両河童」「夫婦河童」「縁結び河童」「健康河童」「安産子宝河童」「延命長寿河童」「身代わり河童」を表しています。河童ですからね、どことなくユーモラスな感じがします。

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光陽門を抜けて坂を登ると左手に「御拝願所」、その正面には本殿があります。拝願所の小さな鳥居は伊勢の方向に向いていると言われているようです。

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本殿の裏手には「むすび神社」があり、その左手には七福神が無造作に鎮座、祀られています。

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わざわざ行くような場所では無いかもしれませんが、部埼灯台に行く際は寄ってみたらいかがでしょうか。



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