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2019/05/31

【門司港散策】旧門司税関 1912年に建設されたネオルネサンス調の優雅な建物

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ネオルネサンス調のデザインを取り入れ、赤煉瓦が美しい旧門司税関は1912年(明治45年)に2代目の庁舎として建設されました。1代目の庁舎は1909年7月に建てられたものの、12月に火災をおこして消失しました。そのため、同じ場所にレンガ造りの新税関庁舎が建設され、現在の庁舎(門司港湾合同庁舎、4代目税関庁舎)に移るまでの約15年間、門司税関として使われていました。

※ 門司税関は1909年(明治42年)に長崎税関から独立して国内で7番目の税関として発足しました。戦後は九州全域と山口県を管轄することになりましたが、1953年(昭和28年)に長崎税関を分離して、現在は福岡、大分、宮崎、山口と佐賀(唐津、伊万里)・長崎(壱岐対馬)を管轄しています。

※ 門司で最初の税関官署は1885年(明治18年)に設置された「門司長崎税関出張所」です。門司港が特別輸出港に指定されたのが1889年なので、それよりも前です。1884年には旧門司に海軍石炭貯蔵所が設置されたようなので、石炭輸出のために必要だったと思われます。

※ 自社炭鉱の石炭輸出のため、遠い長崎ではなく筑豊からより近い門司に税関置くべく申請に奔放したのがNHK朝ドラ「あさが来た」のモデル広岡浅子です。そして門司港で初めて石炭輸出の許可を受けました(申請者は吉田千足で、広岡浅子が「広炭商店」を共同で設立した相手)。当時の出張所は日本郵船ビルの一室を間借りしていたそうです。これが門司で最初の官署になりましたが、1887年(明治20年)に廃止されました。

2代目門司税関ができた1912年当時、門司港の入出港隻数は長崎港の2倍以上に達し、全国でも神戸港に次ぐ規模でした。明治時代は石炭輸出が大部分を占めていた門司港ですが、大正時代からは石炭に換わって精糖や綿糸などの輸出が増えていったようです。いずれにせよ、現在も残る旧門司税関庁舎で多くの業務が行われていたわけで、手狭になり、わずか15年で新庁舎に移ったのもわかるような気がします。

さて、門司税関庁舎ができた当時の写真を見ると、岸壁側に現在は無い建物が併設されているように見えます。税関の奥(写真左)に見える建物は、「三菱合資会社門司支店」ではないかと思います。現在は取り壊されていて跡形もありません。(門司税関発行 門司港と門司税関の軌跡 〜門司税関100年の歴史 より)

旧門司税関

ほぼ同じ角度から見た現在の写真がこちらです。併設の建物部分はテラス席になっています。

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3代目税関庁舎が現在の場所に完成すると、2代目庁舎は民間に払い下げになりました。倉庫などとして使われ、1970年や1980年の住宅地図を見ると「松庫ビル」と記載があります。国書刊行会発行の「ふるさとの思いで写真集 門司」には衝撃的な写真も載っていました。

1983 旧門司税関

窓は全て埋められて倉庫として使われていたのでしょう。正面入口付近は立ち食いうどん屋になっていました。ただ、レンガ造りや建物の外観は留めていたようです。冒頭写真はほぼ同じ角度から見たものですが、あまりの違いように絶句してします。

門司港レトロで復元されたのは九州鉄道記念館と同様に外観のみです。外観の復元には特注のレンガが使われたそうです。内部には古いままのレンガ壁を見ることができます。庁舎3階には見張り部屋があり、現在もそこに上ることができます。

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窓越しに見る風景はなかなか絵になります。

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旧門司税関の写真を撮るなら、やはり関門橋を入れるべきでしょう。海峡プラザ付近からだと旧税関と関門橋、更には旧税関とも綺麗に調和するプレミアホテル門司港を入れるのも良いかもしれません。

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最後は夜景。旧税関や関門橋がライトアップされて大変美しいです。門司港レトロの多くの店は閉店時間が早く7時過ぎにもなると人影もまばらになります。ですが、門司港に来たなら是非とも美しい夜景を見ないと勿体ないです。

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2019/05/29

【門司港散策】料亭 三宜楼 - 門司港のかつての繁栄を今に伝える歴史的木造建築

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三宜楼(さんきろう)は門司港が最も栄えていた大正から昭和初期にかけて社交場として繁栄した高級料亭です。創業は1906年(明治39年)以前と言われ、現在の地に移転したとされるのは1911年(明治44年)、そして現存する建物は1931年(昭和6年)に建てられました。延べ床面積1200平方メートル以上、部屋数も20室以上ある木造3階建ての大規模な建造物で、現存する料亭建築としては九州最大級のものです。

三宜楼は栄町銀天街の桟橋通側を出て少し小高い坂を上った所にあります。立派な石垣の上にたたずむ木造建築は堂々としていて周囲を圧倒する雰囲気があります。

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石造りの階段を上ると木製の立派な門があり、高級料亭の雰囲気が伝わります。

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時代の流れの中で一気に繁栄した街は、時代の流れとともに寂れていくのも早い。第二次世界大戦直後の一時期を除いて、門司港はかつての繁栄を取り戻すこと無く衰退の道を歩んでいきました。そんな時代、三宜楼は1955年(昭和30年)には料亭を廃業してしまいました。

料亭廃業後は、創業者である三宅アサの子孫がそこに住み続けていましたが、孫にあたる方が2004年(平成16年)に亡くなられた後は遺族が建物を存続できないとして売却・解体の危機を迎えます。地元有志による「三宜楼を保存する会」が募金を集め所有権を取得し、後に北九州市に寄贈されました。2013年頃から2億円余りをかけて部分的な補修工事が行われ、2014年4月から一般公開が始まりました。1階には、三宜楼とも縁が深いフグ料理の老舗 春帆楼(下関)による「三宜楼茶寮」が入っています。

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三宜楼の見所は、高級料亭にふさわしい贅沢の粋を懲らした飾り付け(下地窓や欄間)と2階の畳部分だけで64畳もある大広間でしょう。下地窓は各部屋で全て異なっており全部で22種類もあるそうです。部屋の外側にも廊下があるので、栄町銀天街方面の門司港の町並みを見渡すことができます。

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芸者達による艶やかな芸が行われた舞台も広く、木のぬくもりが感じられます。

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建物全体が補修されているわけではないので見学できるのは2階までです。ただし、管理人さんの案内か許可を取れば3階にも上がることができます。俳句の間と言われる一間だけが改修されています。改修されてない別の部屋の内部を見ることもできます。

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3階からは木枠の窓越しに門司港駅と関門海峡を眺めることができます。当時はビルも立ち並んでなかったはずなので、海峡を行き交う船舶を見ることができたのでしょう。窓ガラスはあえて古い物を使っているのでしょうか、微妙に波打つ歪みが古さを演出しているように思います。

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三宜楼が栄えていた時期、ライバルと言えるのが「菊の屋」と「三笠」です。「菊の屋」は桟橋通を山手側に少し上った所にある NKKビル(元ホテル・ナカハラ、元ホテル・ダイアモンド)付近で、「三笠」は後の「料亭 松尾」で、三宜楼からほど近い場所にありました。これ以外にも100人以上を収容できる大型の高級料亭がいくつもあったそうです。中小の料亭にいたっては数十はあったとされ、当時の門司港が如何に栄えていたかがわかります。残念ながらその全てが現在は営業していなくて、建物が残っているものも三宜楼を除いて数カ所しかありません。

幼少期をこの地で過ごして、清滝界隈のイメージは「大人の社交場」で、子供が行くような場所ではありませんでした。直ぐ近くに山城屋デパートがあっても、そこから先の山手には立ち入ることは無かったと思います。清滝公園や風師山に登るときに通ったくらいです。当時、三宜楼は既に廃業していたのですが、まだ「料亭 松尾」や「醍醐(建物は現存)」「ひろせ(2014年廃業、建物は現存、イベントで使用)」などは営業を続けていました。

無くなったのは料亭だけではありません。1970年の住宅地図を見てみると、清滝から錦町界隈には20軒以上の旅館がみつかります(場所的にその多くは遊郭跡だと思われますが)。ですが、現在も残っている旅館はわずか3軒しかありません。レトロ観光をするなら、そんな昔ながらの古い旅館に泊まってみるのもひと味違った旅の思い出になります。

清滝界隈は細い路地が沢山あることでも有名です。重機が入れないため取り壊しも難しいらしく、まだ古い民家が沢山残っています。最近は、そんな路地にお洒落なカフェもできていて、路地探索も楽しいです。

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魚住酒店隣にある「片(わずか)」店内はゆったりと落ち着いた雰囲気で隠れ家的なカフェです。元は芸者の置屋だったと言われる木造建築です。

※ 三宜楼の歴史については、「門司港」発展と栄光の軌跡(羽原清雅著、書肆侃侃房)に大変詳しく記載されています。

※ 春帆楼(しゅんぱんろう)
1985年頃、伊藤博文の命名により創業した料亭で、ふぐ料理の公許第一号店です。1895年には日清講和条約の締結会場にもなりました。三宜楼創業者の三宅アサは、京都から移り住んで春帆楼に一時期席を置いていたと言われています。春帆楼も創業者の死後、何度も廃業の危機にあいます。2003年には株主の会社更生法適用(倒産)により、現在はオリックス不動産が所有し運営に当たっています。場所は安徳天皇御陵がある赤間神社に隣接しており、敷地内には日清講和記念館、伊藤博文・陸奥宗光の胸像、そして「ふくの碑」があります。

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2019/05/28

【門司港散策】世界平和パゴダ(続編)- 僧院 -

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別記事からの追記です。

3月に訪問した際に行かなかった僧院に今月行って来ました。僧院はパゴダから70~80m下ったところにあります。上の写真の左手から下る道の先に「戒律堂」があります。内部の様子は別記事に記載しています。

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「戒律堂」の角を曲がるとその先に「僧院」はあります。

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かなり古い木造の建物で、世界平和パゴダが完成した1958年(昭和33年)9月から改築されてないのだと思います。近づいて窓から中を覗いてみると、使われてない部屋には雑貨が散在していました。

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この写真の奥側に入口があり、中に入ってみると右側の部屋で瞑想している人が数名いました。誰も居ないと思っていたのでちょっと驚きました。(僧侶の姿は見当たりませんでした)その場所には仏像が祀られていて、おそらくそれがご本尊と言っても良いのでしょう。

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この写真は、瞑想している人達の邪魔にならないよう入口後ろから静かに写真を撮ったものです。真ん中に銀色の仏像が安置されています。パゴダ内の仏像とは見た感じが異なります。

僧院の先には右手に「ウ・タンマサラ大僧正の墓所」があります。この僧侶がどのような方なのか、調べてみましたが良くわかりませんでした。現在は周辺の掃除が行き届いてないようで雑木や草が生い茂っていました。

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その先は竹林になっていて道が途切れていました。かつては甲宗八幡宮横の道からパゴダまで上ることができたのですが。。。

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ちなみに、甲宗八幡宮横の道にはまだ世界平和パゴダへの近道を示す看板が残っています。

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この看板にある「めかり山荘」も2012年に廃業して建物も解体されています。2012年に訪問した際、子供の頃に通ったこの道からパゴダを目指しましたが、途中で道がなくなり登り着くことはできませんでした。最近は猪がよく出るので道なき道を1人で行くのはちょっと危険です。


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2019/05/27

【門司港散策】和布刈神社 1,800年以上の歴史を持つ由緒ある神社

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和布刈神社は九州の最北端、関門海峡を間近で眺められる場所にあります。創建は西暦200年頃とされ、古く江戸時代までは「隼人社」「速戸社」「早鞆明神」などと呼ばれており、和布刈神社と呼ばれるようになったのは1809年のことだそうです。「和布刈」とは「わかめを苅る」という意味です。

和布刈神事は、「旧暦の元旦夜中3時に3人の神職が衣冠を正して松明、鎌と桶を持ち社前の石段下りて厳寒の海に入って和布を刈り神前に供える」というもので、神社創建以来続いています。古くは、和銅3年(710年)に和布刈神事のわかめを朝廷に献上したとの記録も残っています。

門司港レトロ観光線のノーフォーク広場駅で降りて北側に約150m程歩くと和布刈神社の大鳥居があります。そこから和布刈神社までは約700mです。ノーフォーク広場を左手に見ながら海岸沿いを歩くと、目の前に関門海峡と関門橋が広がります。和布刈神社は関門橋橋柱のたもとにあります。

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※ かつて、和布刈公園への入口付近、現在のノーフォーク広場には和布刈遊園地があり、その横には和布刈菊人形館があって一大行楽地でした。また岸壁は海上保安本部の所有だったので、常に巡視船が停泊していました。

神社奥に進むと本殿、拝殿の前にも大きな鳥居があります。境内は狭いので鳥居全体を見渡すのはなかなか難しい。鳥居奥には拝殿があり、左手には和布刈神事が行われる岩場に降りる階段とその前に鳥居(写真左)があります。

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海峡側の鳥居をくぐるとわかめを苅る岩場に通じる階段があります。直ぐ横に見えるのは枕潮閣という料亭で、50年ほど前の地図にも記載されているのでかなり古いものだと思います。

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そして、目の前には海の中にある灯籠と本州まで延びる関門橋の雄大な姿を見ることができます。関門橋ができるときは和布刈神社はどうなってしまうのかと心配したものですが、古い灯籠と薄緑色の関門橋のコントラストは素晴らしい眺めだと思います。

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海中灯籠を別角度から見ると、遠く小倉や下関の町並みも見ることができます。

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階段下から見た鳥居がこちら、わかめを苅ったあと、神聖な社殿に向かう入口であるのがわかります。

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この鳥居前には細川忠興、小笠原氏が寄進した石灯籠があります。以前は囲いがなくてむき出しになっていましたが、大変古いものなので現在は写真のように囲いが設けられています。

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海岸沿いの狭い場所に建てられて神社なので、鳥居、灯籠、狛犬などが所狭しと置かれています。さらに奥には雄大な関門橋の姿もあって、混み合ってはいるものの他では見ることができない新旧取り混ぜた絶妙な光景が広がっています。

社殿は足利尊氏、大内義隆などにより建造されたといわれています。現在の本殿は三間社流造の銅板葺で、明和四年 (1767年)小倉藩四代藩主の小笠原忠総により健立されました。その手前には拝殿があり、明治中期頃の建造で、装飾が多く、屋根に千鳥破風や唐破風を設けた賑やかな造りになっています。

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拝殿を正面から見た写真(海側)

拝殿の後ろ側に神聖な岩と一体になったような本殿があります。

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本殿横には小さな祠があって、その一つが早鞆稲荷です。鮮やかな朱色の祠とその手前に稲荷神の神使とされる狐が建っています。

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和布刈神社には鳥居がもう一つあります。関門トンネル人道入口手前に建てられた鳥居からは神社とともに関門橋を眺めることができます。

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和布刈神社は海の神にまつわる神社です。神社の御神宝「満珠と干珠」は和布刈神社の沖合約6kmのところにある元奥津島と辺津島(現在の満珠島と干珠島)に納められているそうです(衛星写真で見る限り祠らしい建造物は見当たりません)。地理的には山口県に近いものの、本来は和布刈神社ゆかりの島なので福岡県に属しても良いような気はしますが、Google Map で見ると下関市の一部です。

※ 和布刈神社周辺は門司港の一大観光地でした。関門橋の建設と工事などの影響で、神社手前にあった旅館や飲食店などは全て姿を消しました。関門橋の工事が始まった頃までは、割烹旅館めかり荘、めかり会館、めかり毎日荘、めかり食堂、めかり屋、源平茶屋などが神社前バス停付近にありました。

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2019/05/24

写真で見る門司港駅 復元工事の前と後

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2019年5月撮影

鉄道駅としては日本初、東京駅よりも先に国の重要文化財に指定された門司港駅。1914年2月(大正3年)に建設当時の姿を取り戻すべく、復元工事が始められたのは2012年9月です。耐震補強工事などの影響で当初完成予定よりも約2年ほど遅れましたが、今年、2019年3月に工事を終えグランドオープニングセレモニーが行われました。

私は、工事が始まる直前の2012年8月と、工事終了後の 2019年3月に門司港駅を訪問しました。期待に胸をふくらませて駅舎を見たのですが・・・。正直、綺麗になりすぎてて、愛着のあった古い門司港駅の姿から一変して違和感すら感じました。ともあれ、古い写真から順番に紹介します。写真の品質から撮ったデジタルカメラの性能がモロにわかりますが。

手持ちで一番古い写真は2005年に撮ったものです(Canon IXY DIGITAL55)。この頃の門司港駅はのどかでした。門司港レトロとして観光地の中心にあるのに、観光客はまばらで空気がゆっくり流れてたように思います。

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次は2007年に撮ったもので、同じく Canon IXY ながら、少し高級デジカメの 900 IS で撮りました。色合いも良くなって、何よりシャッター速度優先撮影ができたので噴水の水が飛んでる様子が綺麗に写っています。夏には子供が遊んでて・・・のどかでした(笑)。

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2009年に撮影した駅舎の夜景は次の通り。同じく Canon IXY DIGITAL 900 IS で撮りました。駅舎のライティングはなかなか感じが良いと思います。ただ、駅内は蛍光灯の明かりで白っぽく雰囲気がないですね。駅舎2階は使われてなかったのでしょう、明かりが付いていません。

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2012年以降はカメラがグレードアップして一眼レフ(SONY NEX-7)になりました。復元工事直前の姿を残しておきたくて、昼間と夜に写真を撮りました。

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最初の写真(2005年)と比べて、ほとんど何も変わってないのがわかります。これが私の目に焼き付いてた古い門司港駅の姿。子供の頃に見た駅舎とほとんど変わってないのだと思います。

そして復元工事後の新しい門司港駅の姿がこちら。上の2012年に撮った写真と同じようなアングルの写真を選びました。

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違いは一目瞭然。まず、駅舎の壁の色が薄いクリーム色に替わり窓枠の茶色がはっきりしています。屋根の上には「こだわりの細工」も建設当時のように再現されています。時計は建設当初付けられてなかったのですが、九州初の電気時計で歴史的価値があるとして取り付けが決まりました。

復元工事前と大きく異なるのが、駅舎から大きく着きだした屋根です。昔は駅前にバスやタクシーが入ってましたので、その乗降客の為に付けられたものです。そして、昔はあった「門司港駅」の大きなサインもなくなり、全体としてシンプルな姿に変わったと思います。

門司港駅には3月と5月に訪問しました。夜景を撮ったのですが、3月と5月で様子が全く異なってて驚きました。最初は3月に撮った駅舎夜景です。全体的に茶色身をおびた落ち着いた雰囲気です。駅舎2階にも明かりが付いていて寂しい感じがなくなりました。駅構内も暖色系の明かりでイイ感じです。

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5月の連休明けに撮った写真がこちら。

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駅舎本館部分がダークブルー系になってて重厚感があります。戦時中は駅舎全体が黒く塗られていたと言われていて、まさにそれを彷彿とさせるような暗い駅舎です。茶色の駅舎もいいけれど、個人的にはダークブルーの駅舎の方が斬新で見応えあると思います。正面から撮った写真はこちら。

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駅舎のブルーと構内の暖色系の明かりの対比が美しいです。
今年撮った写真は全て SONY ILCE-7RM3(α7R III)です。5月に撮った夜景写真は全て三脚を使ってるのでノイズがなく細かい部分まで鮮明に撮れています。

復元工事が施されたのは駅舎本体のみです。ホームに通じるコンコースなどは昔のままに残されています。「幸運の手水鉢」「帰り水」「洗面所」は以前と変わらずあるものの、トイレが改装されてしまっています。知る人ぞ知る有名な大理石製トイレだったのに・・・


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