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2019/04/27

【門司港散策】門司港レトロ・ハイマート展望台 - 関門海峡を一望する -

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ビル左下にあるのが旧税関、右に古城山が見えます。

関門海峡と関門橋、そして門司港の街を一望するならここ。黒川紀章設計の門司港レトロハイマートの最上階にある展望台です。門司港レトロのグランドオープン直前の1994年に建築申請されましたが、景観を損ねるとの理由で裁判沙汰までなって、設計変更の後、1999年にようやく竣工しました。元々は15階建てマンションの予定だったそうですが、海峡プラザ付近から古城山(和布刈公園)が見えなくなることが問題になりました。その為、建物の幅を細くして高層化することになったようです。完成当初は、門司港レトロの町並みにそぐわず違和感ありましたが、今ではすっかり門司港の顔になりました。レトロなレンガ作りの町並みと対比を考えて設計されたのか、それとも、ただ単に目が慣れてしまったのか・・

最上階の31階は北九州市が買い取り、フロア全体が展望台になっています。カフェもあるので、関門海峡を眺めながらゆっくりするにはもってこいの場所です。入場料は300円、エレベーターを上がって最上階に受付があります。

ここからの景色で一番素晴らしいのは、関門海峡を全て見渡せることでしょう。第1船溜まりと関門橋が一望できます。門司港の岸壁から見る関門橋も美しいのですが、高さ103mの展望台からだと埠頭や旧門司の町並みと一緒に見ることができるので絵になります。

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門司港駅方面を見下ろした写真がこちら。門司港駅の駅舎やホーム、車両基地全体を見渡すことができます。撮影したのが夕方前で逆光になっていたのと、ガラス越しの撮影なので色が綺麗に出てなくて残念です。

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門司港レトロエリア全体、そして晴れてモヤがかかってなければ巌流島や遠くに小倉の町並みまで見ることができます。1960年代後半の地図を見ると、現在の門司港プレミアホテルの左側岸壁まで貨物線が通っていました。門司港駅を迂回するように門鉄ビル、郵船ビル、大阪商船ビルの横を線路が走っていて、現在も残る建物の場所から昔の線路跡がはっきり見て取れます。門鉄ビルが四角い敷地をしていないのは、直ぐ横を斜めに線路が走っていたためなのです。

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眼下が第2船溜りで、左下が海峡プラザ。

ビルの間から関門トンネルの入口も見えます(人道トンネルの入口は和布刈神社の先)。関門トンネルは1958年(昭和33年)に完成し、60年が経って老朽化が問題となっています。海底トンネルなのでタンクローリーなどの危険物車両は通行できません。四国と本州の間は何本もの橋が架かっているのと比べると、通行制限無く本州と九州を結ぶ道路は関門橋だけしか無いのです。第2の関門橋建設構想が出るのは必然で、忖度云々の話ではないのです。

写真手前付近は、昭和初期の頃まで遊郭があり栄えていたそうです。現在はその面影はほとんどありません。(それらしい古い建物は数件残っていますが)

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山側(東側)には老松公園があります。関門トンネル開通に合わせて1958年に開催された「門司トンネル博(関門海底国道トンネル開通記念 世界貿易産業大博覧会)」の会場になった場所です。

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ちなみに、九州の大動脈である国道3号線の起点は、老松公園の正面交差点です。関門トンネルは大阪から続く国道2号線の一部です。公園と言っても特に何もありません。広いグラウンドが二つと図書館、そして1932年に建てられた慰霊碑と鳥居がひっそりと建っています。(門司市が満州事変の後に建てた碑は「忠魂碑」、北九州市制後に「慰霊碑」に呼称変更)

老松公園周辺は戦前まで栄えていました。今では面影すらありませんが、老松公園北側(写真では左側)に走る大通り(日の出町)には電車が走り、旭座、稲荷座などの芝居小屋もあったようです。終戦末期の大空襲、そして昭和28年の大洪水によって全てが無くなり街の様子も一変したとのことです。


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2019/04/18

【門司港散策】スタバでちょっと一休み

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JR門司港駅の復元工事完成にあわせてスターバックスが構内にオープンしました。もちろん門司港で第1号店です。(年間旅行者数200万人以上と言われる九州では有数の観光地・・な割には人が少ないので、2号店ができる気は全くしません 😅)

大正時代にあった「みかど食堂」の復活はわかりますが、当時、影も形も無かったはずのスタバが、何故待合室を潰してまでもできたのか。理由は簡単、この店舗は JR九州ファーストフーズとスターバックス コーヒー ジャパンのライセンス店舗なのです。まぁ、そういう大人の事情はいいとして、門司港駅に着いたら、まずスタバでコーヒーをしながら散策コースを決める。絶対人数が少ないので、東京の様子と比べるとガラガラで席に余裕がありのんびりできます。😝

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右手の元三等待合室がスタバ店舗(改装前は食堂)

朝日新聞デジタル版の記事には次のように書かれていて、まぁこれでスタバ門司港の説明は全部終わってしまいます。

この空間にオープンするスターバックスのデザインコンセプトは「Storyteller」。門司港駅の復原された駅舎や鉄道とともに“コーヒーを通じて地域の語り部として歴史や先人たちの情熱を伝えていきたい”という思いを込めています。店舗は、門司港駅の趣のある雰囲気と日本の産業革命と近代化を支えた北九州の工業地帯の歴史から、大版の鉄板に錆をまとわせたコルテン鋼をバーカウンターの壁面に使用し、そこに列車のヘッドマークを用いてスターバックス歴代のロゴマークを施しました。また、天井の鉄骨や壁面の足元には役目を終えた九州の鉄道レールを再利用し、門司港駅を起点に九州の鉄道が発展、そして鉄道を通じて九州の文化、情報、人、ものを繋いできたことへの敬意を表現しております。さらにコーヒーとともに地域への絆を感じ、この場所が地域のみなさまを繋ぐ、コミュニティの場となることを願い、店内の一部のテーブルや椅子には、福岡県産のセンダン材を使用し、地元の木工所に手掛けていただいたオリジナルの家具を設置しました。この特別な空間の中で、歴史ある門司港駅に思い馳せながら味わう特別なコーヒー体験をぜひお楽しみください。(2019.02.25)

そうなのです、一応、店舗設計にはこだわりがあって、テーブル足下の鉄道レール列車のヘッドマークに模したスタバのロゴはここでしか見られません。店舗奥には木製のテーブルがあったり、大正時代の姿に復元された門司港駅とうまく調和してるように思います。

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そんな中、中央には斬新な硝子張りのエレベーターがあります。店舗内は2階の展示室や貴賓室、みかど食堂に行く通路にもなっていて、2階廊下からは屋根裏の構造を見ることができます。

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奥に見える硝子張りエレベーターで2階に上がることができます。さりげなく古い鏡が置かれていたり、昔の写真も展示されていてレトロ感の演出も忘れていません。

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エレベーターを降りるとこんな感じで、左手は「みかど食堂」、右手前の窓から屋根裏構造を見ることができます。右手奥に貴賓室と資料室が続きます。奥にも階段があり駅正面に降りることができます。

大正モダンとでもいうか、新しくお洒落になった門司港駅。そんな雰囲気にスタバはぴったりのような感じがします。復元工事前はどうだったかというと、スタバ店舗奥のテーブル席がある場所には「うどん屋」がありました。古い店舗ながら意外と評判よくて、私も何度も行きました。素うどんに関門ならではの「フクの天ぷら」をトッピングしても500円もしなかったような。。復元工事でドアが無くなり、スタバ店舗内から外のテラス席に直接出ることはできません。

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2012年8月撮影

駅にあったうどん屋さんはどこに行ってしまったのか・・小原市場にある「駅うどん」では? とネットの書き込みや噂を聞いて行ってみたのですが、全く関係ないとのこと by 店のオバサン。残念!

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2019/04/17

【門司港散策】世界平和パゴダ - 日本で唯一のミャンマー式寺院 -

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和布刈公園の駐車場から少し下ったところに「世界平和パゴダ」はあります。公式ウェブサイトには次のように書かれています。

北九州市門司港の和布刈公園山頂にそびえ立つ世界平和パゴダは、日本とミャンマー(旧ビルマ)の親善と仏教交流、世界平和の祈念及び第二次世界大戦時に門司港より出兵した戦没者の慰霊を目的として、1958年、国内唯一の本格的ミャンマー式寺院として建立されました。

長年、「ミャンマー日本文化交流協会」が運営を支えてきましたが、当初は2,000人を越す協会員が居たのが20人程度にまで減ってしまいました。また参拝客も減少して、資金不足のために2011年(平成23年)には休館を余儀なくされたのです。「慰霊と友好の灯火を消してはならない」とのミャンマー仏教界の意向もあって、2012年には再びミャンマーから僧侶を招いて再開されました。現在は地元有志らにより「世界平和パゴダ奉賛会」が立ち上げられ、会員の募集と運営資金などの寄付を募っています。

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パゴダ入口正面から左手の道を下ると「戒律堂」とその奥に「僧院」があります。前回、再開直後の2012年に訪問したときは「戒律堂」は閉まっていましたが、今回は中を見ることができました。内装は大変シンプルで、中央に白い仏像が祀られていました。

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パゴダ入口階段の右手には事務所兼資料室のような建物があります。ここで拝観料を払うのですが、閉まっていて誰も居ません。前回訪問時は内部に入ることができて、その時の写真がこちら。

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階段を上ると目の前にパゴダがそびえ立ちます。高さ45mもある仏塔の先端にはダイヤモンド・ピナクル(尖塔冠)をはじめ、水晶などの宝石が飾られているそうです。

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ここも前回訪問時は入口が閉ざされていましたが、今回は中を参拝することができました。

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入口から入って正面に釈迦坐像が安置されています。タイで見てきた様々な仏像と比べると、仏像を取り囲む装飾や仏像の顔立ちなど、タイのものとは明らかに異なる印象でした。

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入口正面上には孔雀が羽を広げた姿でしょうか、美しいステンドグラスがはめられています。

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仏塔の直ぐ横には鐘楼、そして裏手には涅槃像が祀られています。

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子供の頃、当たり前のように見上げてきたパゴダ。それが日本で唯一のビルマ(ミャンマー)寺院だと知ったときは驚いたものです。甲宗八幡神社の鳥居の直ぐ脇には現在も営業中の石材屋さんがあり、カッパの石蔵は昔からあって記憶に残っています。その脇道から山の方に入ってパゴダに向かったものです。前回訪問時、記憶をたどって山道を登ってみましたが、途中から道なき道になっていて猪に遭遇するのは嫌だったので諦めました 😅。道が通じていれば、パゴダの僧院前に出るはずです。

石炭積み出し港として栄え、明治後期、大正、昭和初期まで交通の要所として繁栄を遂げた門司港。第二次世界大戦の時は、門司港から200万人もの将兵が南方に出征していきました。その半数は生きて日本の地を踏むことはできなかったのだそうです。激戦地ビルマにも多くの将兵が出兵していきました。そんな戦没者の慰霊のため、世界平和パゴダは今後も長く門司港の街を見下ろし見守っていてもらいたいものです。

「世界平和パゴダ」は、文化庁が認定する日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡」の構成文化財に選定されています。


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2019/04/12

【門司港散策】和布刈公園 - 門司港の街を見渡すならここ

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和布刈公園には子供の頃の楽しい思い出が沢山あります。公園内を走り回ったり、当時、できたばかりの「国民宿舎 めかり山荘」の展望レストランに行くのも楽しかったし、お風呂ではしゃいだ記憶もあります。その「めかり山荘」も、門司港レトロブームの影で消えていった場所のひとつです。

「めかり山荘」は1963年(昭和38年)にオープンし、老朽化のため2012年3月に閉館、その後、直ぐに建物は壊されて現在は更地になっています。展望レストランから見る関門海峡の眺めはすばらしかったのに。。。跡地に宿泊設備を完備したレジャー施設ができると言われていましたが、いまだに工事が行われる気配すらありません。

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解体工事中のめかり山荘(2018年8月撮影)

めかり公園へは、公園入口バス停から登り路を歩いて約1km。以前はめかり山荘行きのバスもありましたが、現在は廃止されています。めかり公園入口バス停まではレトロエリアから2km弱なので、健脚の方は旧門司の町並みを見ながら歩いて行くのも良いでしょう。2012年に訪問した際は、1時間以上かけてゆっくり歩いて公園まで行きました。今回はレンタカーで行ったので楽でした。車の場合、一方通行なので、古城山をぐるっと一回りして降り口(出口)は塩水プール付近になります。

春の桜の季節は人で賑わいますが、普通の日はほとんど人が居ません。2012年の夏に行ったときは、数頭の猪と遭遇してちょっと怖い思いもしました。

めかり公園で外せないのは「世界平和パゴダ」です。日本で唯一のミャンマー(旧ビルマ)寺院です。閉鎖の危機もありましたが、現在はミャンマーから来た僧侶が常駐しているそうです。2012年やその前に行った時よりも寺院内は綺麗に整備されていました。「世界平和パゴダ」については別記事にする予定です。

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解体され更地になった「めかり山荘」跡地から見た「世界平和パゴダ」

もう一つの見所は「門司城跡」。古城山の頂上に作られた城跡で、石碑だけが建てられています。13世紀頃の源平時代に築城され、1615年まで続いたと言われています。

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2012年8月撮影

古城山は関門海峡を見下ろす要所なので、ここには砲台も作られており一部その跡を見ることもできます。そして、石碑の先から見る関門海峡の眺めは、関門橋を眼下に、晴れた日には日本海側まで見える絶景です。

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2012年8月撮影

今回訪問したのは3月下旬、桜の開花宣言は出ていましたが、まだ少し早かったようで、園内の桜はほとんど咲いていませんでした。

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桜の季節はどこでも出店があります。まだ人影まばらな和布刈公園にもあって、懐かしさから思わず梅が枝餅とラムネを購入。北部九州方面では出店に太宰府名物「梅ヶ枝餅」は定番です。

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駐車場から古城山を眺めた写真がこちら。この頂上に「門司城趾」があります。

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和布刈公園の周回道を下った所にある展望台には、源平合戦の大きなレリーフが飾られています。

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この展望台からは門司港レトロ地区全体を眺めることができます。当日は残念ながらモヤがかかっていて遠くまで見えませんでしたが、晴れていると写真右手奥に小倉の方まで見渡すことができます。

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訪問した翌朝はスッキリと澄み渡っていたのですが、昼過ぎにかけて西からの強風に乗ってみるみるうちに霞がかかり、対岸の下関すら見えにくくなりました。大陸方面から飛んできた大気汚染物質のせいか、それとも例年やってくる黄砂のせいかはわかりません。

和布刈公園はかつて関門国道トンネル入口付近にあった駅とロープウェイで繋がっていました。1958年、関門海底国道トンネルの開通と同時にロープウェイも開業しましたが、わずか6年後の1964年に運行を停止してそのまま廃止されてしまいました。当時の様子は鮮明には覚えてないものの、ロープウェイに乗った記憶はあります。わずか600m余りの距離ですが、高所からの眺めを楽しむどころか、怖くて親にしがみついていたような・・・😅


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2019/04/10

【門司港散策】門司中央市場 - 古くて新しいシャッター街 -

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老松公園側の入口。かつてはこの前に公設市場があったので、こちら側が市場正面なのでしょう。

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が少しハイソな商店街なのに対して、門司中央市場は庶民の生活に密着した市場です。昭和7年(1932年)の古地図を見ると、老松公園の南西側に1921年(大正10年)に開設された公設市場がありました。戦後は近くに闇市ができて、それが門司中央市場の始まりと言われています。アーケード街が完成したのは1958年(昭和33年)で、市場内の標語に61周年と書かれているのは1958年から数えてと言うことでしょう。けれども、アーケードができる前の昭和30年頃に撮られた写真にも「中央市場」の名前があることから、市場の始まりはもっと以前だったと思われます。どの街でも古い市場はシャッター街化が進んでいて、ここももちろん例外ではありません。ですが、この市場には朽ち果てそうな廃墟感は全く無くて足を運ぶとなんとなく楽しい場所です。

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栄町銀天街方面からの入口

2012年に近くまで行ったとき、暗くて怪しい雰囲気だったので中に入ることなく素通りしました。廃墟マニア系なら喜んで探索したのでしょうが 😅。子供時代、この市場は活気が溢れすぎてて逆に一人では怖くて行かなかった記憶があります。道幅も狭いうえに、夕方時ともなればどの店もごった返してたのです。門司港の縮図を見るような感じでしょうか、かつての繁栄はもうここにはありません。

今回、おそらく、初めて門司中央市場の中に入ってみました。数年前から九州女子大学の学生さんたちがリノベーションを手がけていて、それが昨年頃に一段落したのだそうです。古く汚れたシャッターは全て塗り替えられ、照明も明るく、そして何よりシャッターに描かれた弁天様などの絵が可愛らしい。一つのアートであるかのようなシャッター街には、古いのに何故か新しさを感じました。昔からある狭い路地のような通りですが、こんなに綺麗なシャッター街は他に無いのではないでしょうか。

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もう一つ楽しいのが市場の通路上に掲げられた面白い標語。誰が考えたのだろう、一枚一枚、自虐的な内容に思わず微笑んでしまいます。

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もちろん、営業している店はいくつもあります。果物屋さん、洋品店、蕎麦屋さんなど。そして、不思議な店もありました。自虐的ネーミングの「大都会門司港」という店。何屋さんなのか不思議に思って入ってみました。店主は門司の出身では無いそうですが、4年ほど前にはるばる関東地方から門司港に移り住み、中央市場の中に店を開いたのだそうです。雑貨、衣類、本、CD、駄菓子などの他、酒も飲めます 😆。店主曰く、「インフォ・ショップ」なんだとか。もっと良くわかりませんが 😅

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インフォ・ショップは左手の黒い看板の場所

気さくな店主と話をするのは楽しいです。私が居たときも常連客と思える年輩の女性が来て、直ぐに打ち解けて話をすることができました。まぁ、かつて門司港に住んでいたということで話が弾んだわけですが。

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門司産の米で作られた特別純米酒『猿喰1757』を飲みました。この酒、門司区猿喰産米「吟のさと」を原料として、八幡東区の溝上酒造で加工された日本酒です。常温で頂きましたが、スッキリした味わいで大変飲みやすい。少しフルーティーなのに日本酒特有の口の中にまとわりつくような甘い感じが無くて、普段日本酒を飲まない私でもグイグイいけます。店主と雑談をしながら2杯も飲んでしまいました。😅 是非、また行きたいものです。

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※ 猿喰は門司港ではなくて、昔は裏門司と呼ばれた周防灘に面した地区です。阪九フェリーのターミナルなどがあって「新門司港」として開発が進められてきたエリアに隣接する場所です。昔はあの辺り、よく潮干狩りに行ったものです。
1732年の享保の飢饉の際、飢餓から救うために、石原宗祐が私財を投じて裏門司の入り江を干拓し、33 ヘクタールにもおよぶ新田を作った(猿喰新田)。休耕田となっていたが、彼の子孫らによる「猿喰新田を残し、歴史を後世へ伝えたい」との思いから復活した。ネーミングの「1715」は新田開発が始まった年から取ったもの。


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