2018/04/28

ニューヨーク生まれの二大服装品ブランド Brooks Brothers と Lord & Taylor

TM_1207 NYC_SN0553

長らくタイの話題ばかり書いていたので少し趣を変えてニューヨークの話題です。

ファッションブランド、デパートやホテルなどの客商売を営む業界では、店舗の場所と建造物のデザインなども業績に大きく影響します。それらのビルを見ると、その時代の様子を垣間見ることができます。ニューヨークで生まれた Brooks Brothers と Lord & Taylor という服装品ブランドは、いずれも 1800年代前半に創業し、時代とともに店舗をブロードウェイに沿って北上してきました。特にニューヨークの Golden Ages と言われる 1800年代半ばから1900年代初期には、富裕層の移動に合わせるように店舗を移しています。

Brooks_Brothers_Catherine.jpg
(Apple Map App 3D view)

Brooks Brothers と Lord & Taylor は、いずれもニューヨークの同じ町に誕生しました。今では公園になって当時の面影は全くありませんが、ブルックリンブリッジとマンハッタンブリッジに挟まれた Catharine Street にありました。 昔は沢山のショップがあって賑わっていたらしいです。Brooks Brothers(BB) の前身は Henry Sands Brooks が1818年に創業し、後を継いだ4人の孫達が1850年に Brooks Brothers と改名しました。Lord & Taylor(LT) は 1826年に Samuel Lord and George Washington Taylor が興しました。BBは男性服、LTは女性服できっと棲み分けができていたのでしょう。

Brooks Brothers は1840年にブロードウェイとグランドストリートの角に移転します。そして、南北戦争の終結後の1874年にブロードウェイとボンドストリートの角に移転しています。Lord & Taylor も同じ頃に Brooks Brothers と同じグランドストリートに店舗を移ししたが、直ぐ後の 1870年にはブロードウェイと 20thストリートの角にビルを建てて移転しました。同じ頃、ライバルであった Arnold Constable デパートや Tiffany などもユニオンスクエア周辺やその北側に移っています。

冒頭の写真は、1874年に建築された Brooks Brothers のビルで、現在も同じ場所ブロードウェイとボンドストリートの角にあります。壁や窓の装飾は大変美しく手が込んでいるのがわかります。壁に飾られた紋章のようなものは、建造年の 1873 の文字をデコレートしたものです。

Brooks Brothers が次に移転した先はフラットアイロンビルの直ぐ近くにありました。現在は新しいビルに建て替えられていて当時の姿は写真でしか見ることができません。

1911 Brooks Brothers Broadway 22nd and 21st

1870年に移転した Lord & Taylor のビルはブロードウェイとW20th ストリートにありますが、残っているのは角側の一部のみです。このビル、現在はなんと Brooks Brothers の支店が入っています。

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最後は、1915年に新天地に移転した Brooks Brothers と Lord & Taylor の写真。

TM_DSC04901.jpg TM_1207 NYC_SN0123

Brooks Brothers は、グランドセントラル駅にほど近い Madison Av. と44th ストリートの角にあります。お気に入りのブランドの一つなのでニューヨークに行ったときは時々寄りますが、アメリカンサイズはうまくフィットしなくて、品質も国内で買った方が良いかな。

Lord & Taylor は 5番街の New York Public Library から2ブロック南の38th ストリートにあります。近くには 1905年に移転してきた Tiffany が 1ブロック南側にあり、Tiffany は1940年に更に北側の現在の位置に移転しました。

約150年かけて商業の中心がセントラルパークの南側まで移ってきてきましたが、今は昔と店舗のあり方が変わってきました。そして、再び SOHO など南部の地域が見直され、朽ち果てそうになっていた古いビルが次々とリノベーションされているようです。

ニューヨーク・マンハッタンは街中が建物の博物館のようです。新しいビルも続々と建設されていますが、古い形を残したまま改築されて生まれ変わっていくビルを見て回るのも楽しいです。

Brooks_Brothers_Lord_Taylor_-_Google_マイマップ



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2018/04/27

Apple AirPort シリーズの製造終了

airport-time-capsule.jpg

来るべくしてその時が来たと言いますか、長年、機種更新がなく2年くらい前から“販売終了” は噂されていました。製造終了後もハードウェアとソフトウェアのサポートは継続するようなので慌てることはありません。

私は 2013年に AirPort Time Capsule 3TB を購入しました。それからもう4年以上経っていますが、特に不具合も無くネット環境に不満を持ったことはありません。この Time Capsule というのは、Wifi ルーターに HDD を搭載してネットワーク経由で自動的にバックアップを行ってくれる優れものです。今となっては、有線LANで接続していてもお世辞にも早い HDD とは言えませんが。

2013年6月に販売が始まった製品ですが、基本性能は現在でも遜色ないです。
Wireless Data Rate Up to 1.3 Gbps
Compatibility Wi-Fi (802.11a/b/g/n/ac)
Frequency 2.4 GHz and 5 GHz simultaneously
Supported Protocols
NAT, DHCP, PPPoE, VPN Passthrough (IPSec, PPTP, and L2TP), DNS Proxy, IPv6 (6to4 and manual tunnels)
Security WPA/WPA2 Personal or Enterprise
Capacity 50 users

Macから簡単にセットアップできて、パスワード設定も思いのまま。そして、Apple ID を使って屋外でも HDD にアクセスすることも可能です。何より気に入っているのは、PC機器らしくない真っ白な筒状でコンパクトな形です。Apple らしいこだわりとお洒落さを感じます。

最近、Mesh Wifi なる新しい技術が発表されましたが、広い一軒家ならともかく、マンション住まいの私には必要性を全く感じません。家庭内ネットワークは IoT に欠かせませんが、その IoT だってメーカー間の統一性がなくてユーザーのメリットが感じられません。まぁ、そうやって新技術、新機能を盛り込んだ新製品を販売していかないと売上を上げられないのはわかりますけどね。

話が横道にそれましたが、AirPortシリーズは製造終了なので、メッシュ技術に対応することは無く、また昨年頃からジワジワ採用が始まった次世代通信規格 IEEE 802.11ad にも対応しません。メッシュ技術はともかく、この新規格は将来的に家庭内ネットワークの主流になっていくのかなぁ・・と感じています。近距離でなんと最大 8 Gbps という高速通信ができるらしいですから、煩わしいケーブル配線が全くいらなくなります。ただ、特殊な周波数帯域のため日本で直ぐに採用できるのかどうか知りません。

現状では特に不満もないので、AirPort Time Capsule 3TB をまだしばらく使い続けるでしょう。



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2018/04/26

暑くなるとタイ料理が食べたくなる

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今週末から始まるゴールデンウィーク、AEONさんが本州、四国、沖縄の各店舗で「タイフェア」を開催するそうです。様々な食材、レトルト、カップ麺などを販売してタイ気分を盛り上げてくれるのでしょう。越谷のレイクタウン店では、タイの屋台や雑貨店も開かれるようなので、プチタイ気分を味わえるかもしれませんね。特に予定もなく暇なので、週末に行ってみようかな。

日程:4月27日(金)~30日(月)
時間:9:00~19:00 (※最終日のみ18:00まで)
場所:1F 水の広場・水~噴水広場・噴水広場・噴水広場前駐車場・イオンスタイルレイクタウン

写真で見ると、タイ料理ってほんとに美味そうですよね。

top_img04.png top_img03.pngtop_img02.png

タイフェスと言えば、毎年5月に代々木公園で開かれています。以前は、タイフードフェスティバルと言っていたように思いますが、いつの頃からか「タイフェスティバル」になったのですね。


今年は 5月12日(土)と13日(日)です。
thaifestival2018webjp.jpg

ちなみに、
大阪は、5月19日と20日(大阪城公園、太陽の広場)
名古屋は、6月2日と3日(久屋大通公園「久屋広場」)
仙台は、6月16日と17日(仙台勾当台公園)
このほか、静岡でも開催されるそうです。(福岡は未定で、色々あったようで無理かもね)

激辛飯にタイビール。天気良いと最高ですね。


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2018/04/23

タイで、「King the Great」と呼ばれる6人の国王

タイでは、三大国王と言うのを良く聞きます。有名大学の名前にもなっているラームカムヘーン王とチュラロンコン王、それにタイの国技ムエタイの生みの親と言われるナレースアン王です。それ以外にも "King the Great" と呼ばれる 3名の国王がいます。トンブリ王朝を興したタクシン王、現チャクリー王朝を興したルワンヨック・クラバット王(ラーマ I 世)、そして一昨年に亡くなられたプミポン・アドゥンヤデート国王(ラーマ IX 世)です。

【三大王】
1. ラームカムヘーン国王(スコータイ王国)Ram Khamhaeng the Great(1279 - 1298)
2. ナレースアン国王(アユタヤ王国)Naresuan the Great(1590 - 1605)
3. チュラロンコン国王(ラーマ V 世)Chulalongkorn the Great(1868 - 1910)

【他3名の King the Great】
4. タクシン国王(トンブリ王国)Taksin the Great(1767 - 1782)
5. ルワンヨック・クラバット国王(現王朝のラーマ I 世) Phutthayotfa Chulalokthe Great(1782 - 1809)
6. プミポン・アドゥンヤデート国王(ラーマ IX 世)Bhumibol the Great(1946 - 2016)

ラームカムヘーン王は、言うまでも無く、タイという国の基礎を気づいたような王です。支配域を現在のタイと同じくらいに拡大して(北部ランナー王国を除き)、タイ文字の原形を作るなど、文化芸術面での功績も大変大きいです。ラームカムヘーン王の業績は、1833年にラーマ IV世により発見された碑文に示されています。ラームカムヘーン王の記念碑はスコータイ歴史公園の中にあります。

ラームカムヘーン国王碑(スコータイ歴史公園)
(Google Street Viewより)

ナレースアン王は、アユタヤ王国(後期アユタヤ朝)の第21代国王で、人質として差し出されたビルマから戻ってアユタヤを再興したことで知られています。タイの国技ムエタイの創始者とも言われており、アユタヤにある王碑にはムエタイ選手が訪れることもよくあるそうです。タイの寺院でよく見かける鶏の置物は闘鶏を趣味としたナレースアン王をモチーフとしたものです。

ナレースアン王(アユタヤ)
(Google Street Viewより)

チュラロンコン王(ラーマ V世)は、タイの近代化を成し遂げた名君で、チャクリー改革と呼ばれる数々の改革を行いました。諸外国との交流だけで無く、内政では奴隷制度の廃止、中央集権国家の基礎固め、議会制度、学校教育の開始など数々の業績があります。王の像はアナンタサマーコム殿の前にあります。「王様と私」のモデルだったと言われています。(作者に虚言癖があったらしく、誇張された表現も多々あることから、タイでは不敬罪として上映/上演は許可されていない)

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そして残りの三名は、ビルマ軍を打ち破りトンブリ王朝を興したタクシン王、タクシン王を処刑してチャクリー王朝を興したルワンヨック・クラバット王(ラーマ I 世)、そして70年間にもおよび国王を務め一昨年亡くなられたプミポン・アドゥンヤデート王(ラーマ IX 世)です。

タクシン王の像はトンブリ地区のウォンウィエンヤイにあります。そこから Prajadhipok通りを北上してチャオプラヤ川を渡ったところにラーマ I 世のモニュメントがあります。距離は約 1.7km 離れています。チャオプラヤ川には King Rama I Memorial Bridge がかかっており、この橋は歩いても渡れます。橋からは、直ぐ近くにフラワーマーケット、そして遠くにワット・アルンが見えます。チャオプラヤ川を渡るのはボートが主な手段ですが、歩いて渡れる橋はほとんどないので、 King Rama I Memorial Bridge を渡ってチャオプラヤ川を見渡すのも良いかもしれません。

TM_DSC03914.jpg 
トンブリのウォンウィエンヤイ(大きなサークル)にあるタクシン王像

ラーマ_I世(バンコク)
ラーマ I 世像(Google Street Viewより)


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2018/04/17

タイ建国の歴史を調べてみました

大陸にある国々では、民族や宗教の違いにより争いが絶え間なく続いて、国(勢力域)も時代により大きく変わってきました。争いの度に王宮や寺院が破壊されて・・島国日本に育った私からすると、なかなか理解に苦しんだりするわけですが。。。おかげで、タイ全土に渡って戦いの歴史というか、その後が遺跡として残っています。

現在のタイの建国はスコータイ王朝に遡るとされています。11世紀頃、現在のタイ領土はモン族に支配されていました。北はハリプンチャイ王国、南はラヴォ王国です。そこにクメール族(現在はカンボジアに大部分が住む)のクメール王朝が勢力を伸ばしてきて、その勢力が弱まってきた頃に、中国南部から移動して北部から勢力を強めてきたタイ族はスコータイ王国を作りラボ王国から独立します。その後、北部ではハリプンチャイ王国を制圧してランナー王国ができました。モン族のラヴォ王国は 1388年にアユタヤ王朝の Ramesuan王に統合されるまで続いています。

各王朝の王の年代表を作ってみました。

モン族からタイ族へ S2

スコータイ王国の最盛期は三大王の一人とされるラームカムヘーン王 Ram Khamhaeng(1279-1298年)の時代です。支配域を現在のタイの大部分を占める領域まで拡げ、タイ語で書かれた最古の石碑ラームカムヘーン王碑文によると、国は大変豊かで「王は国家の父たる存在である」とあり、現在のタイ国にも継承されている考え方の土台が作られた時期なのです。また、ラームカムヘーン王は北部ランナー王国のマンラーイ王(1261-1311年)、パヤオ王国のカムムアン王(1258-1298年)とも親交が深く、1287年には三国同盟を結んでクメール王朝からの攻撃に備えました。チェンマイにある「三人の王の像」は偉大なこれら三人の王を記念したものです。

TM_DSC09947.jpg 

当時の王国には明確な国境は存在しなかったようです。国王が全ての領域を治めていたのではなく、スコータイがスコータイ王国の中心で、その周辺にあるムアン(小規模な国のようなもの)と連合体王国を作っていたと考えられています。したがって、スコータイ王朝の勢力が弱まれば、それらのムアンは独立していくわけです。ラームカムヘーン王の死後、スコータイ王国は弱体化の一途度たどり、東に位置したピサヌローク Phitsanulok、南のカムペーンペット Kamphaeng Phet、ナコーンサワン Nakhon Sawan が離反していきました。

1347年、リタイ王 Lithai の時代にはスコータイ王国の中心はピサヌロークに移され、アユタヤ王朝に併合された後も、その地の中心地はピサヌロークとなり、スコータイという町は歴史から忘れされれて密林の中で長らく廃墟となっていました。スコータイが「発見」されたのは現王朝のラーマ IV世(モンクット王 1851-1868年)の時代になってからです。

スコータイ王国時代の遺跡はスコータイ歴史公園になっていて、北のシーサッチャナーライ歴史公園 Si Satchanalai、カムペーンペット歴史公園 Kamphaeng Phet と共に「スコータイの歴史上の町と関連の歴史上の町」として UNESCO世界遺産に登録されています。

年表を作ったり色々と調べていたら、たったこれだけの文章をまとめるのに何日もかかってしまいました。こういう歴史を調べるのは楽しくて、暇人にはもってこいです。(笑)

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