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2018/05/30

カーネギーホール Carnegie Hall in New York

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ニューヨークで音楽と言えば直ぐに思い浮かぶのはカーネギーホールです。鉄鋼王と呼ばれたアンドリュー・カーネギー Andrew Carnegie が1891年に建造した伝統あるコンサートホールです。かつては、ここのステージに立つことは音楽家にとって最高の栄誉とまで言われていました。現存するコンサートホールとしては世界的に見ても最も古いものの一つです。また、ニューヨークに残る石造りの建物としては最大級のものです。場所はセントラルパークから2ブロック南側の7番街にあります。

1890年代のニューヨークは Ladies Mile の全盛期だった頃で、街の商業・文化の中心はユニオンスクウェア周辺でした。そんな時代に何故遠く離れた 57th Street に大きなコンサートホールを作ろうと思ったのか。そこは先見の目があるカーネギーのこと、ミッドタウンにできはじめたビルやマンションを見て、街の中心はセントラルパーク一体まで広がると読んでいたのでしょう。実際、カーネギーホールができる少し前には有名なダコタハウスがさらに北側 Central Park West 72nd Street に完成しています。

現在のカーネギーホールは非営利団体として運営されていますが、建設当初はヨーロッパのコンサートホールに対抗するような営利団体としてスタートしました。辺鄙な場所に作られたことも影響してか初年度は赤字。収益を増やすために上層階を増設(1894年)したり、56th Street 側に 12階建てのビルを増設(1895年)、57th Street にもビルを増設(1896年)してほぼ現在の原型が完成しました。次の写真は 1891年の建設当初と増設後 1910年頃のものです。周囲には大きな建物はほとんど無いことがわかります。

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カーネギーホールはニューヨークフィルのために作られたと言っても過言ではありません。1842年、ウィーンフィルと同じ年に生まれたニューヨークフィルですが、楽団の運営は必ずしも順風満帆だったとは言えませんでした。1878年にはライバルとなるニューヨーク交響楽団が創設され、このオーケストラがカーネギーから特別の保護を受けることになるのです。1891年のカーネギーホールのこけら落としは、チャイコフスキーの指揮でニューヨーク交響楽団により行われたようです。

ニューヨーク交響楽団はニューヨークフィルとは別物でしたが、1928年に合併してニューヨークフィルハーモニー交響楽団となりました。伝統あるニューヨークフィルが吸収した形です。当時のニューヨークフィルの常任指揮者はスゴい人ばかりです。1925年からの2年間はフルトヴェングラー、そのあとはトスカニーニなんです。機会があればニューヨークフィルの歴史もまとめてみたいと思います。

さて、現在もカーネギーホールが残っているのはアイザック・スターンというアメリカを代表するバイオリニストのおかげです。カーネギー家がホールの運営を行っていたのは1925年までで、カーネギーの死後に不動産は売却されました。1960年にはニューヨークフィルが新設のリンカーンセンターに移ることになり、それにあわせてオーナーはカーネギーホールを取り壊して高層ビルにする計画を発表したのです。その時に立ち上がったのがアイザック・スターンを中心とする音楽家達なのです。結果、ニューヨーク市が買い取ることになりカーネギーホールは生き延びることができました。

非営利団体になったとは言え赤字を出し続けてよいわけではありません。最大のお得意様であったニューヨークフィルは直ぐ近くのリンカーンセンターに拠点を移してしまいましたし。カーネギーホールには3つのホールがあり、現在はリサイタルホールとして使われている 599席の中ホール Zankel Hall は 1900年頃から American Academy of Dramatic Arts に貸し出されています。その後、2000年初頭まで映画館として使われています。

1960年頃からニューヨークは暗黒の時代に入ります。凶悪犯罪と殺人事件が急増して1990年には2,245件もの殺人事件が発生しました。私がニューヨーク近郊に住んでいた頃も 2,000人くらいが毎年殺されていて、ハドソン川に死体が浮かばない日は無いとまで言われていました。そんな時代ですから治安も悪く、カーネギーホールがあった7番街もかなり乱れていて、1970年代にはカーネギーホールの中ホールでインディーズやゲイのポルノ映画が上映されていたという記録もあるそうです。

建設当時の写真と現在の姿を比べてみても外観に大きな違いはありません。私はいつも運が悪く、カーネギーホールに入ったことがありません。入口の隙間からのぞき見ただけですが、ロビーはさほど広くなく凝った作りではなさそうですね。同じ時期に建てられたウィーンの歌劇場に比べると・・・雲泥の差というか、あの豪華で荘厳な装飾の足下にも及ばない(笑)。

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現在は57th Streetの増設部分に60階建ての Carnegie Hall Tower が建てられています。私が居た1980年代後半頃に建設が始まっていました。

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ホールの内部ツアーもやっていると思うので、次回、もしもニューヨークに行く機会があれば是非とも参加してみたいと思っています。

カーネギーホールで世界初演が行われた主な名曲をあげてみました。
1893年 ドヴォルザーク作曲 交響曲第9番「新世界より」(ニューヨークフィル)
1904年 R. シュトラウス作曲 家庭交響曲(ウェッツラー交響楽団)
1928年 ガーシュイン作曲 パリのアメリカ人(ニューヨークフィル)
1944年 デューク・エリントン作曲 A列車で行こう(デューク・エリントン楽団)
1944年 ヒンデミット作曲 ウェーバーの主題による交響的変容(ニューヨークフィル)
1961年 バーンスタイン作曲 ウェストサイトストーリー(ニューヨークフィル)

ホールのこけら落としでチャイコフスキーが指揮をしたのもスゴいですけど、世界初演の数も沢山あり伝統を感じます。


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2018/05/25

Acela Express で、ボストンからニューヨークへ

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ボストン南駅に停車中の Acela Express

海外で都市間の移動に鉄道を使う機会は少ないのですが、所要時間が 2〜3時間程度までなら飛行機よりも楽なので鉄道の旅も悪くありません。 5年ほど前に仕事でボストンに行く機会があり、帰りはニューヨークで週末を過ごして帰国しました。その際、以前から乗ってみたいと思っていた Amtrak Acela Express で移動しました。

Acele Express は最高速度240kmを誇るアメリカ唯一の高速鉄道ですが、ボストンとニューヨーク間約370kmに3時間半もかかります。在来線と路線を共用しているため最高速度で走れる区間が限られているのです。ボストン - ニューヨーク間は1日8〜9往復のみです。全席ビジネスあるいはファーストクラスなので座席は広くゆったりと時間を過ごすことができます。

始発駅はボストン南駅。なかなか立派な建物ですが、内部はさほど広くありません。この駅からは Amtrak の他、近郊路線も発着しています。

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ニューヨークにはマンハッタンを南下して入るのではなくて、ロングアイランド側から入ります。到着駅は Penn Station。別記事で書きましたが、Grand Central Terminal は北側に延びる近郊路線だけなので、ボストンやワシントンDCを結ぶ Amtrak は全て Penn Station 発着です。路線図は次の通り。

NYC Amtrak 路線図

マンハッタンに入る前、右側の車窓からはマンハッタンのビル群を遠くに見ることができます。ニューヨークに着いたなぁ・・って感激します。(笑)次の写真は、クイーンズにかかるトライボロ橋と、マンハッタンに入るトンネルの直ぐ前に撮ったエンパイアステートビルなどのビル群です。

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マンハッタンは街を散策しながら回るのも良いですが、遠くから見るビル群もなかなか感動的です。別記事でブルックリンにある公演から見たマンハッタンについて書きました。観光客もほとんど来ない私のお気に入りの場所です。


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Penn Station に停車中の Acela Express


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2018/05/24

世界最大の鉄道駅 Grand Central Terminal, New York City

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Park Avenue, 42nd Street にあるグランドセントラル駅。42nd Street 側から少し古めかしい入口を入りメインコンコースに出ると、広い空間に圧倒されます。現在の駅舎は三代目で1913年に完成しました。世界一と言われるのはプラットフォームの数です。実に44本ものプラットフォームがあり、トラック数は 100以上にも及びます。現在、実際に使われているのは 43トラックだけですが、それでも相当な数です。グランドセントラル駅は駅舎を除いて全て地下にあり、43nd Street から約 10ブロック北側までの広大な地下空間を占めています。

※ Grand Central Station と呼ばれることもありますが、正式には Terminal です。北側から来る列車の終着点になっていて、この駅から南には発着していません。日本語では Station も Terminal も同じで “駅” と表記します。
※ ちなみに、乗降客数や発着列車本数では過密都市東京の鉄道駅には遠く及びません。

初代グランドセントラル駅は 1871年に開業して Grand Central Depot(停車場/発着場)と呼ばれていました。この駅が開業するまで、 New York Central & Hudson River Railroad、New York & Harlem Railroad と New York & New Haven Railroad 三社の停車場は別々にあり、乗降客の利便性を考えて統合することになりました。その後、1899年に大規模な改修工事が行われ、駅名が Depot から Grand Central Station に変更になりました。(写真はそれぞれ1896年と1900年の撮影)

NYC Grand Central 1896 NYC Grand Central 1900

当時はまだ蒸気機関車で、1902年にトンネル内事故で多数の死傷者を出したことがきっかけとなり、全線の電化計画が一気に進みました。1906年には最初の電車が導入されています。乗降客がますます増加して手狭になってきたことに加え、ライバルのペンシルベニア鉄道の新駅 Pennsylvania Station に対抗するためにも Grand Central Station は建て替えられることになりました。1903年に建造が始まり、実に約10年の歳月をかけて現在の Grand Central Terminal 駅は完成しました。冒頭の写真は、2013年に100周年を迎えた時に撮ったもので、100 の数字がコンコース奥の窓に見て取れます。ちなみに、その下は2011年にオープンした Apple Store です。

※ Pennsylvania Station は 1910年に完成・開業し、1962年に立て替えのため駅舎は取り壊されました。それを機に歴史的建造物の保存活動が盛んになり、1966年の高層ビル建設で取り壊されることになっていた Grand Central Terminal 駅舎は救われることになりました。

駅舎の直ぐ北側には 1963年に完成した旧パンナムビル(パンアメリカン航空本社)があります。59階建てのビルは、当時世界一高い商業オフィスビルでした。ビルの南北面には「PAN AM」の大きなロゴがあることでも有名でしたが、1981年にメットライフにビルは売却され、パンアメリカン航空の倒産と共にロゴは「MetLife」に変更されてしまいました。この旧パンナムビルは Grand Central Terminal の駅真上に作られています。

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Park Avenue が歩行者に開放される “Summer Streets” の時に南側から撮った写真(2013)

Grand Central Terminal 駅舎は Park Avenue の真上にあります。よって、Avenue は駅舎の所で左右に分かれて旧パンナムビルの横を通り、同じく Park Avenue の真上に作られた Helmsley ビルの手前で合流してビルの1階部分を貫通しています。Summer Streets の時に普段は歩行者が入らない場所を間近に見ることができました。

まず目につくのは駅舎上に飾られた彫刻です。高さ 15m もあるそうで、そこにはめられた時計は世界最大と言われるティファニーガラスです。三体の像はミネルウァ、ヘラクレス、そしてメルクリウスです。普段は見ることも無い細かい部分まで細工がされていて、世界最高の駅を象徴する素晴らしい彫刻です。

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Park Avenue が別れる駅舎正面には、セントラル鉄道のオーナーでもあり鉄道業界に多大な貢献をしたCornelius Vanderbilt の銅像が飾られています。車で通らない限り普通は目にすることはありません。

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豪華なのは外観だけではありません。コンコースの高い天井には星座の絵が描かれていますし、プラットホームに通じる通路の装飾も、とても駅とは思えないほど豪華に作られています。また、コンコース中央の Information にある四面の時計にはオパールガラスがはめ込まれていて、時価 1,000万ドルとも 2,000万ドルとも言われる価値があるそうです。

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とにかく巨大で豪華な駅です。今では日本の駅でも当たり前になりましたが、1900年代初頭から駅構内にはレストラン、マーケット、博物館、映画館などが入っていて、一つの街のような作りをしていたようです。

現在、Grand Central Terminal を発着する列車は北に向かう近郊路線のみです。ボストンやフィラデルフェア、ワシントンDCを結ぶ Amtrak 路線は 1991年に Penn Station に移されました。現在 Penn Station を発着している Long Island Rail Road (LIRR) は、2023年までに Grand Central Terminal に移される予定だそうです。利用者の大部分の職場が Penn Station 近辺ではなく Grand Central Terminal の近くにあるとの調査に基づき、利便性を考えての移転だそうです。

鉄道好きな私は、駅や列車、路線の話になると止めどなく書き続けてしまいそうです。ニューヨークに行っても、地下鉄を除いて列車に乗る機会はほとんどないと思います。ですが、Grand Central Terminal は一見の価値がある重要な歴史的建造物です。鉄道の利用者は少なくなってきているとは言え、いつまでも現在の姿をとどめておいて欲しいものです。



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2018/05/22

ニューヨーク・マンハッタンの Avenue と Street のお話 - ニューヨークの都市計画

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(1st Avenue, 1st Street の交差点、Google Street View より)

マンハッタンは、道がどこも直線的で見晴らしが良く、通り名を書いた標識が各コーナーにあるので道に迷うことがほとんどありません。大体の距離を知るのも簡単で、東西方向の Avenue は約300m、南北の Street は約60m間隔で区切られています。区画整理があんなに綺麗にできている大都市は他に無いのではないでしょうか。

ニューヨークがまだニューアムステルダムと呼ばれていた 1600年代、街の北限は現在の Wall Street の辺りで、Broadway はその当時からありました。(Wall Street の名前が当時インディアンからの襲撃を防止するために儲けられていた城壁の場所に由来するのは有名な話)昔の地図を見てみると、壁の北側に抜けられる道は Broadway だけだったようです。(1660年頃の地図)

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1700年代の後半になると街は北側に広がります。この地図で興味深いのは、Broadway は現在の Chamber Street 付近までで終わっていて、その北側には農園が広がっていたこと。そして、その農園を迂回するように現在の市庁舎南側から道が北側に延びていることです。現在も名前が残っている Bowery Road です。この道は北側のハーレム方面に向う主要な道でした。

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1797年の地図を見ると街は更に北側に広がっていて、Broadway も現在の Houston Street の北側まで延びています(当時、Houston Street は North Street と呼ばれていました )。北側に延びた Broadway はまだ新しく、当時の主要道路は Bowery Road の方で、これを基準にして周辺域が整備されました。

そして、現在のマンハッタンの原型になる都市計画が作られたのが 1811 年です(Grid Plan)。North Street より北側の土地を南北の Avenue と東西の Street で直線的に区切ることにしたのです。既に村があったグリニッジビレッジは除外されました。Avenue はマンハッタンを南北に縦断する通りとされたので、1st Avenue はイーストリバーからかなり内陸側に計画されました。そこを基点にして約300m間隔で Avenue を、60m間隔で Street が作ることにしたのです。1st Avenue の西側の場所は Avenue A, B, C, D と名付けられています(アルファベットシティーと呼ばれています)。

NYC_1811 Grid Plan

1811年の計画地図を見ると、Houston Street を境にして区画が異なることがわかります。以前は岸壁と並行するように細かく区画が作られていましたが、Grid Plan では南北方向(上地図の左右方向)の角度が微妙に異なり整然と区切られています。Broadway と Bowery Road が交わる場所に Union Square が作られました。至極当然なネーミングですね。

この地図では現在の Broadway の場所が Bloomingdale Road と記されています。Bloomingdale Roadは 1703年にできた古い道で、マンハッタンの西側に繋がる幹線道路でした。Bloomingdale Road の名前が地図から無くなり、新たに作られた Broadway になったのは 1868年のことです。

※ Broadway は Union Square を通って繋がっているはずですが、 Union Square 周辺に Broadway の標識はありません。ここで一旦途切れていたことの名残でしょうか。(未確認)

規則正しい格子状の町並みにも例外がいくつかあります。地図を見て直ぐにわかるのは、斜めに走る Broadway と Bowery Road です。いずれも計画前からあった幹線道路なので至極当然でしょう。ちなみに、旧 Bowery Road と Bloomingdale Road は Union Square 付近で別れて、Bowery Road はマンハッタンの東側を通ってハーレム方面へ、Bloomingdale Road は Bloomingdale と呼ばれる地域を通ってマンハッタンの西側に続いていました。

1811年の計画にはセントラルパークはありませんでした。その代わりに3rd Avenue, 23rd Street と 7th Avenue, 33rd Street までの広大な場所に Grand Parade が計画されていました。後の地図を見ても記載が無いので作られていないようで、その場所にはかなり小さくなっていますが 1847年に完成した Madison Square があります。セントラルパークは 1850年に計画され、1859年に完成しています。Washington Square も記載がなく、1827年に作られました。

計画当時は Avenue も規則正しくマンハッタンの北側まで通っていたのでしょう。ですが、現在の地図を見ると・・・

観光客が良く訪れる 5th Avenue や 6, 7, 8th Avenue はよく耳にします。ですが、4th Avenue を知っている人はほとんどいないでしょう。通りの名前 = 住所ですから、「4」という数字が敬遠されたのでしょうか。計画当初は 4th Avenue も普通にありました。ですが、現在の 4th Avenue は極短い区間のみで大部分は Park Avenue と呼ばれているのです。

NYC Avenue Map

1832年に New York & Harlem 鉄道が Bowery Road に開通し、1850年代に完全地下化して地上部分に公園が作られました。そして、1860年にこの部分は 4th Avenue から Park Avenue に改名されました。その後も通りの名前をめぐって議論があり、1924年までに Park Avenue は 34th Street まで南に延長され、さらに 32nd Street までが Park Aveneue と呼ばれるようになりました。

論争はそれに終わらず、32nd Street から Union Square までに住む住民も Park Avenue にするよう市に嘆願しましたが、Bronx まで続く Street Number を変更するのは困難ということで、最終的にこの区間を Park Avenue South と呼ぶことで落ち着きました。これにより、住居表記として残る 4th Avenue は Union Square から Cooper Square/Astor Place までのわずか 6ブロックのみとなったのです。

1811年に計画されたハドソン川沿いの Avenue は 11th まででした。それも 34th Street までしかなく、10th Avenue も 23rd Street まででした。ハドソン川の埋め立てにより現在では12nd Avenue までありますが、湾岸道路という感じでもはや他の Avenue とは比較できません。さらに、Google Map を見ていたら、13rd Avenue なるものも記載されていました。将来的に埋め立てて道が繋がれば 13rd Avenue もできるのかもしれませんね。

通り名(住居表示)は街のイメージにもつながります。当初 Houston Street 以北に付けられた Avenue ですが、6th Avenue に至っては Canal Street の南まで延びています。当初の計画には無かった Madison Avenue や Lexington Avenue も作られました。通常 6th Avenue と呼ばれる通りも 1945年に正式名称が Avenue of America に変更されています。時代の流れや地元の要望により通りの名前が変わっていくのは致し方ないことのような気がします。

面白いところでは、6 1/2 という歩行者専用通もあります。名前の通り、6th Avenue と 7th Avenue の間の通りで、51st Street から 57th Street まで繋がっています。ビルの合間にある細い路地のようですが、ちゃんと道路標識もある正式な道です。

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(Broadway から旧 Bowery Road が別れる付近)


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2018/05/18

ニューヨークのストリートアート

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アメリカで落書き文化が芽生えたのは 1960年代のフィラデルフィアだったと言われています。1970年代に入ってから、落書き文化の中心地はフィラデルフィアからニューヨークに移りました。一気に花が開き社会問題化するほどになったのは、あの有名な “地下鉄の落書き” です。スプレーペイント特有の丸っこいモコモコとした文字と色鮮やかな配色そして 3D的な描き方は、もはや落書きの域を超えて芸術性を感じたものです。ニューヨーク地下鉄が落書きの根絶作戦をスタートしたのは 1984年です。その後、一気に「綺麗な地下鉄」が走るようになって、私が初めてニューヨークを訪れた1886年頃には「落書き地下鉄」は少数派になっていました。

ペインター達が鍛えた技を披露する場所として選んだのは、必然的ですが、ニューヨーク市街地のビルの大きな壁面です。当時撮った写真が数枚だけありました。残念ながら場所はわかりませんが、SOHO の近くだったと思います。風刺的だったり、自己主張だったり、テーマは色々とあったようですね。もちろん、単なる “落書き” も沢山ありました。

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さて、現在はと言うと、ストリートアート アーチストと呼ばれる人までいるほど、その芸術性が認められて活動の幅を拡げているようです。冒頭の写真は High Line から見ることができるペイントアートで、ブラジル出身の Kobra さんが 2012年に描いた作品です。独特な鮮やかな色彩と直線的な描画が特徴的です。Brooklyn, Williamsburg の Bedford Avenue を散策していたとき、同じような作風のアートを見つけました。調べてみると、やはり同じ Kobraさんの作品で、2014年作とのことでした。

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Bedford Av. には他にもいくつか作品がありました。

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High Lineとその周辺は倉庫が多くビルには大きな壁面があるため、他にもいくつか作品を見ることができます。シンプルだけど目を引いたのはこれです。

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別記事で紹介した Ladies Mile, 6番街 17th Street の駐車場にあった作品は Nick Walker が描いたものです。

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Lafayette Street と Canal Street の交差点には、こんな鮮やかなビル装飾もあります。古くてくすぶった色のビルが多い中で、ひときわ目を引く建物でした。

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Greenwich Village に行くと昔ながらの “落書き” も残っていました。これは 2015年に撮影したものです。Christopher Street をハドソン川まで歩いて Pier 45 の公園前にありました。現在は多分、落書きは綺麗に消されているかもしれません。

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この辺りは High Line の直ぐ南側でハドソン川を眺められる絶好の場所なので、今後開発が進むのではないでしょうか。ただし、NYC Landmark に指定されているのでビルそのものが無くなることはないと思います。Christopher Street というとゲイの街として有名です。通り添いには “なるほど〜” と思わせるような店もありますが、現在は観光地化されていて人通りも多く安全な場所です。ちなみに、この落書きされた建物、調べてみると 1990年頃まで有名なゲイバーだったそうです。

Christopher Street 沿いにある Path Train の駅には、こんな意味深な壁絵もあります。さすがゲイの街だけのことはありますね。

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ゲイついでに、ストリートアートではありませんが、SOHO にはこんな垂れ幕?(左上に抱擁する男性カップル)もありました。SOHOには Cast Iron ビルが沢山残っていて、その多くが改装されて新たにショップとして生まれ変わりつつあります。ビルの色も様々で美しくお洒落で、街自体がストリートアートと言っても良いかもしれません。

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ストリートアートは街中に描かれた現代の壁画のようなものです。役目を終えたり、再開発で街自体が変わっていくと失われていく運命にあります。1987年に SOHO で撮った次の写真、1986年に René Moncada によって描かれた "I AM THE BEST ARTIST" という作品ですが、2015年に同じ場所で撮った写真では、このビルは綺麗に改装されてショップになっていました。

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ニューヨークはヨーロッパの伝統的な街に比べると決して古くはありません。ですが、1800年代後半から多くのビルが一気に建ち並び、朽ちること無く再び新しい街に生まれ変わっている場所は他にはないと思います。100年以上も前に立てられた古いビルの装飾を見て回るだけでも楽しいのですが、芸術・文化に触れながら、街中にあふれるストリートアートを探して散策するのも、古くて新しい街ニューヨークの魅力だと思います。


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