2018/05/22

ニューヨーク・マンハッタンの Avenue と Street のお話 - ニューヨークの都市計画

1番街_Google_マップ
(1st Avenue, 1st Street の交差点、Google Street View より)

マンハッタンは、道がどこも直線的で見晴らしが良く、通り名を書いた標識が各コーナーにあるので道に迷うことがほとんどありません。大体の距離を知るのも簡単で、東西方向の Avenue は約300m、南北の Street は約60m間隔で区切られています。区画整理があんなに綺麗にできている大都市は他に無いのではないでしょうか。

ニューヨークがまだニューアムステルダムと呼ばれていた 1600年代、街の北限は現在の Wall Street の辺りで、Broadway はその当時からありました。(Wall Street の名前が当時インディアンからの襲撃を防止するために儲けられていた城壁の場所に由来するのは有名な話)昔の地図を見てみると、壁の北側に抜けられる道は Broadway だけだったようです。(1660年頃の地図)

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1700年代の後半になると街は北側に広がります。この地図で興味深いのは、Broadway は現在の Chamber Street 付近までで終わっていて、その北側には農園が広がっていたこと。そして、その農園を迂回するように現在の市庁舎南側から道が北側に延びていることです。現在も名前が残っている Bowery Road です。この道は北側のハーレム方面に向う主要な道でした。

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1797年の地図を見ると街は更に北側に広がっていて、Broadway も現在の Houston Street の北側まで延びています(当時、Houston Street は North Street と呼ばれていました )。北側に延びた Broadway はまだ新しく、当時の主要道路は Bowery Road の方で、これを基準にして周辺域が整備されました。

そして、現在のマンハッタンの原型になる都市計画が作られたのが 1811 年です(Grid Plan)。North Street より北側の土地を南北の Avenue と東西の Street で直線的に区切ることにしたのです。既に村があったグリニッジビレッジは除外されました。Avenue はマンハッタンを南北に縦断する通りとされたので、1st Avenue はイーストリバーからかなり内陸側に計画されました。そこを基点にして約300m間隔で Avenue を、60m間隔で Street が作ることにしたのです。1st Avenue の西側の場所は Avenue A, B, C, D と名付けられています(アルファベットシティーと呼ばれています)。

NYC_1811 Grid Plan

1811年の計画地図を見ると、Houston Street を境にして区画が異なることがわかります。以前は岸壁と並行するように細かく区画が作られていましたが、Grid Plan では南北方向(上地図の左右方向)の角度が微妙に異なり整然と区切られています。Broadway と Bowery Road が交わる場所に Union Square が作られました。至極当然なネーミングですね。

この地図では現在の Broadway の場所が Bloomingdale Road と記されています。Bloomingdale Roadは 1703年にできた古い道で、マンハッタンの西側に繋がる幹線道路でした。Bloomingdale Road の名前が地図から無くなり、新たに作られた Broadway になったのは 1868年のことです。

※ Broadway は Union Square を通って繋がっているはずですが、 Union Square 周辺に Broadway の標識はありません。ここで一旦途切れていたことの名残でしょうか。(未確認)

規則正しい格子状の町並みにも例外がいくつかあります。地図を見て直ぐにわかるのは、斜めに走る Broadway と Bowery Road です。いずれも計画前からあった幹線道路なので至極当然でしょう。ちなみに、旧 Bowery Road と Bloomingdale Road は Union Square 付近で別れて、Bowery Road はマンハッタンの東側を通ってハーレム方面へ、Bloomingdale Road は Bloomingdale と呼ばれる地域を通ってマンハッタンの西側に続いていました。

1811年の計画にはセントラルパークはありませんでした。その代わりに3rd Avenue, 23rd Street と 7th Avenue, 33rd Street までの広大な場所に Grand Parade が計画されていました。後の地図を見ても記載が無いので作られていないようで、その場所にはかなり小さくなっていますが 1847年に完成した Madison Square があります。セントラルパークは 1850年に計画され、1859年に完成しています。Washington Square も記載がなく、1827年に作られました。

計画当時は Avenue も規則正しくマンハッタンの北側まで通っていたのでしょう。ですが、現在の地図を見ると・・・

観光客が良く訪れる 5th Avenue や 6, 7, 8th Avenue はよく耳にします。ですが、4th Avenue を知っている人はほとんどいないでしょう。通りの名前 = 住所ですから、「4」という数字が敬遠されたのでしょうか。計画当初は 4th Avenue も普通にありました。ですが、現在の 4th Avenue は極短い区間のみで大部分は Park Avenue と呼ばれているのです。

NYC Avenue Map

1832年に New York & Harlem 鉄道が Bowery Road に開通し、1850年代に完全地下化して地上部分に公園が作られました。そして、1860年にこの部分は 4th Avenue から Park Avenue に改名されました。その後も通りの名前をめぐって議論があり、1924年までに Park Avenue は 34th Street まで南に延長され、さらに 32nd Street までが Park Aveneue と呼ばれるようになりました。

論争はそれに終わらず、32nd Street から Union Square までに住む住民も Park Avenue にするよう市に嘆願しましたが、Bronx まで続く Street Number を変更するのは困難ということで、最終的にこの区間を Park Avenue South と呼ぶことで落ち着きました。これにより、住居表記として残る 4th Avenue は Union Square から Cooper Square/Astor Place までのわずか 6ブロックのみとなったのです。

1811年に計画されたハドソン川沿いの Avenue は 11th まででした。それも 34th Street までしかなく、10th Avenue も 23rd Street まででした。ハドソン川の埋め立てにより現在では12nd Avenue までありますが、湾岸道路という感じでもはや他の Avenue とは比較できません。さらに、Google Map を見ていたら、13rd Avenue なるものも記載されていました。将来的に埋め立てて道が繋がれば 13rd Avenue もできるのかもしれませんね。

通り名(住居表示)は街のイメージにもつながります。当初 Houston Street 以北に付けられた Avenue ですが、6th Avenue に至っては Canal Street の南まで延びています。当初の計画には無かった Madison Avenue や Lexington Avenue も作られました。通常 6th Avenue と呼ばれる通りも 1945年に正式名称が Avenue of America に変更されています。時代の流れや地元の要望により通りの名前が変わっていくのは致し方ないことのような気がします。

面白いところでは、6 1/2 という歩行者専用通もあります。名前の通り、6th Avenue と 7th Avenue の間の通りで、51st Street から 57th Street まで繋がっています。ビルの合間にある細い路地のようですが、ちゃんと道路標識もある正式な道です。

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(Broadway から旧 Bowery Road が別れる付近)


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2018/05/18

ニューヨークのストリートアート

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アメリカで落書き文化が芽生えたのは 1960年代のフィラデルフィアだったと言われています。1970年代に入ってから、落書き文化の中心地はフィラデルフィアからニューヨークに移りました。一気に花が開き社会問題化するほどになったのは、あの有名な “地下鉄の落書き” です。スプレーペイント特有の丸っこいモコモコとした文字と色鮮やかな配色そして 3D的な描き方は、もはや落書きの域を超えて芸術性を感じたものです。ニューヨーク地下鉄が落書きの根絶作戦をスタートしたのは 1984年です。その後、一気に「綺麗な地下鉄」が走るようになって、私が初めてニューヨークを訪れた1886年頃には「落書き地下鉄」は少数派になっていました。

ペインター達が鍛えた技を披露する場所として選んだのは、必然的ですが、ニューヨーク市街地のビルの大きな壁面です。当時撮った写真が数枚だけありました。残念ながら場所はわかりませんが、SOHO の近くだったと思います。風刺的だったり、自己主張だったり、テーマは色々とあったようですね。もちろん、単なる “落書き” も沢山ありました。

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さて、現在はと言うと、ストリートアート アーチストと呼ばれる人までいるほど、その芸術性が認められて活動の幅を拡げているようです。冒頭の写真は High Line から見ることができるペイントアートで、ブラジル出身の Kobra さんが 2012年に描いた作品です。独特な鮮やかな色彩と直線的な描画が特徴的です。Brooklyn, Williamsburg の Bedford Avenue を散策していたとき、同じような作風のアートを見つけました。調べてみると、やはり同じ Kobraさんの作品で、2014年作とのことでした。

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Bedford Av. には他にもいくつか作品がありました。

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High Lineとその周辺は倉庫が多くビルには大きな壁面があるため、他にもいくつか作品を見ることができます。シンプルだけど目を引いたのはこれです。

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別記事で紹介した Ladies Mile, 6番街 17th Street の駐車場にあった作品は Nick Walker が描いたものです。

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Lafayette Street と Canal Street の交差点には、こんな鮮やかなビル装飾もあります。古くてくすぶった色のビルが多い中で、ひときわ目を引く建物でした。

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Greenwich Village に行くと昔ながらの “落書き” も残っていました。これは 2015年に撮影したものです。Christopher Street をハドソン川まで歩いて Pier 45 の公園前にありました。現在は多分、落書きは綺麗に消されているかもしれません。

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この辺りは High Line の直ぐ南側でハドソン川を眺められる絶好の場所なので、今後開発が進むのではないでしょうか。ただし、NYC Landmark に指定されているのでビルそのものが無くなることはないと思います。Christopher Street というとゲイの街として有名です。通り添いには “なるほど〜” と思わせるような店もありますが、現在は観光地化されていて人通りも多く安全な場所です。ちなみに、この落書きされた建物、調べてみると 1990年頃まで有名なゲイバーだったそうです。

Christopher Street 沿いにある Path Train の駅には、こんな意味深な壁絵もあります。さすがゲイの街だけのことはありますね。

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ゲイついでに、ストリートアートではありませんが、SOHO にはこんな垂れ幕?(左上に抱擁する男性カップル)もありました。SOHOには Cast Iron ビルが沢山残っていて、その多くが改装されて新たにショップとして生まれ変わりつつあります。ビルの色も様々で美しくお洒落で、街自体がストリートアートと言っても良いかもしれません。

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ストリートアートは街中に描かれた現代の壁画のようなものです。役目を終えたり、再開発で街自体が変わっていくと失われていく運命にあります。1987年に SOHO で撮った次の写真、1986年に René Moncada によって描かれた "I AM THE BEST ARTIST" という作品ですが、2015年に同じ場所で撮った写真では、このビルは綺麗に改装されてショップになっていました。

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ニューヨークはヨーロッパの伝統的な街に比べると決して古くはありません。ですが、1800年代後半から多くのビルが一気に建ち並び、朽ちること無く再び新しい街に生まれ変わっている場所は他にはないと思います。100年以上も前に立てられた古いビルの装飾を見て回るだけでも楽しいのですが、芸術・文化に触れながら、街中にあふれるストリートアートを探して散策するのも、古くて新しい街ニューヨークの魅力だと思います。


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2018/05/17

ニューヨーク SOHO の入口にある壁のモニュメント "The Wall"

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ブロードウェイをバッテリーパーク方面に南下して、Houston Street との交差点に “The Wall” はあります。1980年代に初めてニューヨークを訪れたとき、青く塗られた壁にエメラルドグリーンの鉄骨が規則正しく突き出した構造が大変印象的でした。“Gate to SOHO” とも呼ばれていて、場所的にまさに SOHO の入口にあたります。

この壁のモニュメントは、1973年に彫刻家 Forrest Myers によって作られました。42本のアルミ製骨を壁に取り付けただけの、ある意味、単純な作品ですが、大きさはビル8階建てほどもあって巨大なものです。この場所には元々ビルが建っていて、Housuton Street の拡幅工事のために取り壊されました。

2008年に久しぶりにニューヨークを訪れた時に行ってみました。
「あれ? こんなだったっけ?」
確かに色も形も変わりありませんでしたが、何となく印象が異なっていました。以前見たときは、アルミ柱には手が届きそうなくらいで、のしかかってくるような圧迫感に圧倒されたように記憶していました。1980年代に撮った写真がこれ。

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左側に見える出窓のような屋根の位置を現在の写真と比べてみると、アルミ柱は明らかに上階側に移動しています。調べてみると、これらの柱は 2002年に一旦撤去されていました。ビルのオーナーは老朽化を理由に撤去したいと New York City Landmarks Preservation Commission (LPC) に申し立てをして、復旧することを条件に撤去が認められました。この場所、立地条件が良くて広告壁にするには最高の場所ですから、一文にもならないモニュメントをなんとかしたいとオーナーが思っていたのは間違いありません。

その後、復旧までにはさらに一悶着あって、オーナーと LPC が最終的に合意したのは 2007年のことです。アルミ柱の設置位置を約1階分上に移動して、その下に4つの大きな看板を掲げることになりました。これにより、ビルオーナーは年間 60万ドルもの広告収入を得ているらしいです。
元のモニュメントと位置を比較した写真がありました。

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ブロードウェイ側の一角に、作者と建造年が記されたパネルが設置されています。

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ニューヨークには歴史ある豪華な建物が沢山あってビルの博物館のよう感じですが、このようなストリートアートも沢山あり、それらを見て回るのも楽しいです。


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2018/05/16

100年前、ニューヨークにあった巨大デパート Siegel-Cooper Department Store

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(2012年撮影)

1900年前後のニューヨークは経済成長著しく、人口も400万人近くまで急激に増加していました。Ladies Mile と呼ばれるショッピングゾーンがユニオンスクエアから 6番街にかけて形成されたのもその頃です。別記事で紹介した Macy's Department Store (1858)はその先駆けとも言える存在です。ブロードウェイには、Tiffany(1870)、Lord & Taylor(1867)、Brooks Brothers(1884)なども旗艦店を構えていました。Macy's があった 6番街にデパートが林立するようになったのは、1875年の Hugh O'Neill や B. Altman デパート(1877)が開業してからです。

Siegel-Cooper Department Store は、1887年に Henry Siegel, Frank H. Cooper と Isaac Keim によってシカゴに設立されました。ディスカウントデパートとして成功を収め、その勢いで 1896年にニューヨークに進出、6番街の 18th Street のワンブロック全体を占める巨大なデパートを建設しました。当時としては世界最大規模のデパートで「Big Store」と呼ばれていました。

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この絵の頃の周辺は次の写真でわかるように、6番街には高架鉄道が走っていてデパート前も大変賑わっています。高架鉄道の下には線路のようなものが見えますが、高架になる前は路面電車が走っていたそうです。線路を撤去する余裕も無いままに高架鉄道ができるほど、当時は町の発展スピードが速かったのだと思います。1903年頃に撮られた写真で、右側に写っているのが Siege-Cooper デパートです。

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Siegel-Cooper デパートの最大の売りは、巨大な店舗もさることながら、それを可能にした鉄筋構造による柱の無い広いフロアです。入口正面には上写真のような大理石造りの噴水が設けられ、“Meet me at the Fountain” というキャッチフレーズが使われていました。現在、この噴水はありませんが、左奥に見える階段はそのまま残っています。

Siegel-Cooper は Macy's の最大のライバルだと言われていました。Macy's デパートは6番街と 14th Street の角地一体に広がった11棟ものビルに分散していたので、Siegel-Cooper の広いフロアは最大の強みだったのでしょう。この写真が撮られた直ぐ後の頃、Macy's はより広い売り場面積を求めて Broadway 34th Street, Herald Square に移転しました。そして、それが Ladies Mile 衰退の引き金の一つとなり、Siegel-Cooper デパートは 1915年に倒産、1917年に店舗もクローズしました。その後は、第一次世界大戦の頃に陸軍病院として使われていた時期もありますが、6番街のデパート群全体が倉庫や廃墟となって忘れ去られることになります。

Henry Siegel がデパートの運営に直接関わったのは 1896年からわずか 6年余りのみです。Macy's の移転は相当痛かったのでしょう。1902年には大手株主に売られ、向かい側にあった B. Altman デパートと統合して更に巨大なデパートになったものの客足は伸びませんでした。1913年には Associated Dry Goods Corp (ADG)に運営が移管されました。ADGは買収により拡大を続け、 Lord & Taylor も手中に収めています。その ADG も 1986年には巨大デパートチェーン May Department Store に買収されます。さらに、May デパートは 1992年に倒産した Macy's デパートを統合した Federated Department Store に 2005年、買収されます。そして、Federated Department Store は Macy's Inc に社名を変更しました。

ライバル関係にあった Macy's と Siegel-Cooper は、いずれも倒産と買収の波に飲み込まれて最終的に Macy's Inc で繋がったということでしょうか。

さて、栄華を極めた Ladies Mile のデパートですが、Siegel-Cooper デパートの豪華さは抜きん出ています。わずか 20年余りの営業でしたが、今も残るビルの装飾からもそれが良くわかります。

現在、6番街に面した一部はディスカウントストアとして使われています。豪華な建物とは不釣り合いですが、内部に入ってみると・・・100年以上も前の建物ですから天井の高い現代建築と比べると貧素な感じを受けます(笑)。1988年頃に撮った写真があったので、現在の姿と比べてみました。ビルの買い手がついて改装が始まったのは1991年頃とのことなので、使われていなかった頃の写真です。一階の壁には沢山の張り紙がされていて、あんなに巨大で立派な建物が廃墟同然だったのを不思議を通り越して異様に思った記憶があります。

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正面入口は大変豪華です。ブロンズ製の大きな柱とアーチ状の三つの大きな入口、二階の大きな窓は高架鉄道から内部が見渡せるようにしていたのだそうです。

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豪華な装飾が施されたブロンズ柱の後ろには、1896年に建造されたことを示すプレートがあります。

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壁面にも細かな装飾が施されていて見応えがあります。 Siegel-Cooper のイニシャルをアレンジしたロゴも見えます。

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現在、店舗になっているのは下層階のごく一部分のみで、それ以外は倉庫かオフィスとして使われているようです。Ladies Mile 全体は New York City Historical Landmark に指定されているので、古いビル群が無くなることないと思います。華やかだった昔を垣間見るにはうってつけの場所です。



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2018/05/12

ニューヨーク Macy's デパートの歴史

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1800年代の半ばになると、ニューヨークの商業の中心はブロードウェイ沿いに北上してユニオンスクエア付近にまで達していました。アメリカを代表するデパートの一つ Macy's は 1858年、ユニオンスクエアから2ブロック西側の 6番街に R. H. Macy Dry Goods Store として誕生しました。Department Store という呼び方が一般に定着したのは 1890年代に入ってからと言われていて、それまでは Dry Goods Store(乾物屋)と呼ばれていました。

ユニオンスクエアができたのは 1839年です。当時は周辺に住宅地が広がっており、ニューヨークで最もファッショナブルが地域として知られていました。Academy of Music やピアノで有名な Steinway Hall もユニオンスクエア周辺にできて文化芸術の中心地でもありました(現在はいずれも痕跡すら無く残念です)。1840代頃からニューヨークの港湾整備が進み、1850年にはユニオンスクエアに最初のホテルが開業、そして間もなく Lower Manhattan に鉄道が開業しました。このように、Macy's がこの地に誕生する下地ができあがっていたと言っても良いでしょう。

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Macy's は、徐々に取り扱い製品を増やしていき、現在では当たり前の「年末クリアランスセール」や「季節毎の店頭ディスプレイ」などのマーケティング手法を初めて取り入れ売上を順調に伸ばしていきました。6番街の一角から始まった Macy's は隣接地に次々と店舗を拡張し、1891年には13st Street 沿いに別館(現存)、1895年に 14st Street を挟んだ向かい側にタバコとリキュール専門店、1896年に6階建ての新館、そして最終段階として14st Street 沿いの別館(現存)を建築するなど、11棟ものビルを所有していたそうです。

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一番左の建物が 1997年に建造された 14st Street 別館(左 1986年撮影、右 2015年撮影)

1986年に行ったときは衣料品店になっていて中に入ったことがあります。昨今の店舗と比較すると、天井は低く店内は幅狭く、二階に上がる階段は一番奥にありましたが、すれ違うのも容易でないほど狭かった記憶があります。おそらく、以前は隣接する建物と内部で連結されていたのだと思います。この建物が Macy's だったことの痕跡は 2012年に撮った写真に見ることができました。現在は上図のように少し綺麗に改装されているので全く見えません。

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この写真、目を凝らして “心眼” で見ると、下の看板にうっすらと Macy's Star ★ マークと "M" の字が見えます。13rd Street の別館にはしっかりと "★" ロゴを見ることができます。

1870年頃からユニオンスクエア周辺には多くの商業施設ができ、1910年頃まで 6番街とブロードウェイに挟まれた 14st Street から23rd Street はニューヨークのショッピングの中心 Ladies Mile として栄えました。そんな中、Macy's は 1902年、更に Uptown の Broadway 34th Street、」Herald Square(現在地)に店舗を移しました。先賢の目があったというか、Ladies Mile は 1910年頃から廃れ始め、1920年代には廃墟同然となって忘れ去られることになります。当時の嗜好を凝らした豪華な建物は現在も残っていて、かつて繁栄していた頃の名残を見ることができます。

Ladies Mile にあったデパートをまとめた図をスキャンしたので添付します。(出典 The historical Atlas of New York City, Eric homberger, 2004)この図は間違っていて、赤枠で囲った店舗は1ブロック南側にありました。

Map of Ladies Mile

当時、Macy's の最大のライバルになっていたのは、シカゴからやって来た Siegel-Cooper でした。1896年に巨大なデパートを開業して、店内に噴水を設けるなど広い店舗を活かしたプロモーションで Macy's を刺激し続けていました。Macy's は言うなれば増改築した寄せ集めビルの集合体でしたので、苦戦を強いられたのだと思います。

Macy's が 1902年に移転した後、元 Macy's の建物はしばらく空き店舗になっていました。14st Street の重要な場所に巨大な空き店舗があると Siegel Cooper Department Store の営業にも影響がでます。Siegel Cooper は Macy's の跡地をなんとか借り受け、6番街と 14st Street の角に現在も建物が残る 14st Street Department Store を 1904年に開業しました。それでも時代の流れは止めることができず、6番街にあったほとんどデパートは 1917年の Siegel Cooper Department Store 閉店までに倒産、廃業してなくなりました。

1902年に移転した Macy's ですが、ビルの形は Broadway 側の一角が欠けた構造をしています。ここにもライバル Siegel Cooper との戦いの痕跡が残っているのです。実は、Macy's がビル建造計画を発表した頃、Siegel Cooper が Broadway 34th Street の一角を取得して、巨大店舗の建設を妨害していたと言われています。(写真は 1903年頃の撮影)

Macys 1903

1896年に開業した Siegel-Cooper Department Store は、当時ニューヨークで最大の店舗面積を誇り "Big Store" と呼ばれていました。Macy's が Herald Square にデパートをオープンすると "最大" ではなくなるので、それを阻止したかったらしいです。Siegel-Cooper は向かい側にあった B. Altman Department Store を統合するなどして抵抗しましたが、次第に業績が低迷して倒産に追い込まれます。 Macy's は 1911年にこの "角地" を購入しました。現在も別棟のような形でビルが建っていますが、上部には巨大な広告塔 Macy's Shopping Bag が作られています。

Macy's は 1924年に店舗を7番街まで拡張しています。そして、"The World's Largest Store" というキャッチフレーズを手に入れたのです。(正確にはわかりませんが、2009年頃までは "最大" だったらしい) 昔のデーパートの広告を見ると、売り場面積の広さをうたったものが良くあります。当時は「売り場面積の広さ = 品揃えの多さ」としてアピールしていたのかもしれません。

今年で 112年目になる現在の Macy's の建物。商業地の北上が続いてきたニューヨークでは 100年以上も同じ場所で営業を続けることはありませんでした。交通網の発達は商業地の分散をもたらし、一地域に客足を集める必要がなくなってきました。顧客の購買パターンの変化はデパートの存続に大きく影響します。それは日本でも同じ事で、数多くのデパートが閉店、倒産が続いていることでもわかります。さらに、昨今はネット販売が増加しているので店舗販売はますます窮地に追い込まれています。

Macy's は巨大デパートに成長しましたが、R. H. Macy 創業家が現在も事業に関わっているわけではありません。「Macy's」はデパートのブランド名と言っても良いです。

Macy ファミリーが経営していたのは 1895年までです。R. H. Macy & Co. は、Macy's Store で陶器などを販売していた Straus 兄弟に事業を買収されます。1902年に移転を決め、事業を拡大したのは Straus 兄弟なのです。兄弟の一人、Isidor Straus は 1912年のタイタニック事故で亡くなりました。

R. H. Macy & Co. は、1992年に一度倒産に追い込まれています。そして、1994年に Federated Department Store に統合され、本社はニューヨークからオハイオ州に移りました。あの頃は、ショッピングモールが郊外に沢山できていて、町中にあるデパートに行く人は少なかったように思います。しかも、1980年代頃、どこの大都市もダウンタウンは治安が悪く、わざわざ電車を使って買い物に行くような場所ではありませんでした。

Macy's ブランドは知名度が非常に高いので、2007年、Federated Department Store は Macy's Inc. に社名を変更しています。FD Storeはその他にも数々のデパートを買収していて、その一つは Bloomingdale's です。現在は、買収した多くのデパートも含めて、Macy's と Bloomingdale's の名前で営業を続けています。

最近はネット販売や IT 関連にも力を注いでいて、1916年にはデパートとしては初めて Apple Store を店内にオープンしています。

最後に、1902年開業の Macy's Herald Square には有名なエスカレーターが残っています。開業当時、32機のエレベーターと 4機の "木製" エスカレーターが設置されたのですが、その “木製” エスカレーターが現存しているのです。エスカレーターがデパートに設置されたのは Macy's がアメリカ初です。1986年に初めて訪れたときは、薄暗くて天井も低く、なんと古めかしいデパートなんだと驚いたものです。その頃の私は近代的な建造物しか見ること無かったので、エレベーターにはほんとに驚きました。Macy's にその後も何度か足を運んでいますが、2015年に最後に行ったときも、確かに “木製” エレベーターは現役で動いていました。たしか、上階の方に残っていたように思います。

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